東海岸地下鉄の旅④

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不覚にも大学を卒業してしまい、
地下鉄の写真を撮ること以外に何も残っていない(と勘違いした)状況となり
それでは北米の東海岸の駅の写真を撮ろうと旅に出ました。

カナダのトロントから撮り始めたのですが
恐らく意気込みすぎててプラットホームに食い気味だったのかもしれません。
たまたまG8という各国政府の集まりがあったためか、鉄道の警備員に
テロリストと間違えられて開始3日で拘束されカメラも没収されてました。

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トロントはこんな駅でした。天井が印象的。
日本では"鉄道マニア"が車両の写真を撮ることに意味を持たせてくれてますが
海外では意味が分からないんでしょうね。やばい奴認定されました。
というかNYのテロの後でもあったので、公共の場所に爆発物を設置する
そのテロリストが偵察のために写真を撮ってるんじゃないかと詰められ、

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こっちは必死に「アートだ!」と説明するも警備員にその理解もなく
そして自分もそれだけの説得資料もなく(泣)、呆然とカナダの街を歩き
Tim Holtonのコーヒーとドーナッツを食べて普通の観光をしました。
3日位たって自分の無実が証明され、(家族や学校にも連絡が入った模様)
カメラは返ってきましたがデータは全消去され、モチベーションはズタズタ
とりあえず土地を変えようと次の街に移動しました。

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なんとなく癒されにトロントからオタワに移って
牧場でWWOOFをしました。馬の世話をしたりサイロの整理をしたり
実は街でも全く人と関らず、というか地上にも上がらず旅していたのですが
やはり自然に触れると取り戻せる感覚もあったりして
馬と戯れあったりしてたらまた街が(というか地下鉄が)恋しくなって
2週間位で次の土地に移りました。

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モントリオールはこの旅のハイライトにして、次の移住先ともなりました。
68個の駅が全て異なるデザインで異なるデザイナーによって設計されている
それだけでもポイントが高かったのですが、地上でもジャズフェスや
映画祭など毎週の様にお祭りがあって夏の華やかさに完全に魅了されました。
(住んでみたら、それは半年の冬の裏返しみたいなものだったのですが改めて)

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そして何よりもまずここに着いた瞬間から身体が軽かった!
SFのバークレーと同じ感覚でそれを信じて初のワーホリで住んでみました。
結果的に大正解でこの旅も写真を毎日撮るのが本当に楽しかった。
大好きな食事を見つけたのも満足度に繋がったのですがそれも改めて。

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アメリカのボストンに移動して大学時代の友達の家にお世話になり
また地下鉄で1日の大半を過ごす生活が始まりました。
アメリカに入ってより一層セキュリティは厳しくなったり
でもボストンの駅も個性的でそれだけで楽しかった。

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特に地上に降りてどこに行く訳でもなく、
ただ電車を次の駅で降りてプラットホームの写真を撮り次の駅へ移りまた、、
文字にすると1行で説明できることを自分は大学生活そして卒業してからも
誰に頼まれるでもなくライフワークのようにやってましてそれが自分なんだな
と今では思います。誰に評価されるでなく、夢中になれるものに直向きに。

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とりあえず、ボストンの写真、余ってたから貼ってみた。

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さて、お次はNY。ここだけで2ヶ月位いたかも。472駅。
ちなみに反対方面のホームには行けないことも多いので
1つの路線を1駅ずつ、往復2回降りて撮ったりしてると
この光景にトランス状態になり、音楽を聞いてたりすると
たまに踊り出したくなって、そんな時は監視カメラで
見られて警備員に摘み出されたりするんだけどNYは
それが許されてるような感じもあって肌にはあった。

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フォトグラファーにチャレンジしたいと思って、アシスタントを応募するも
面接に行く電車が遅れ、遅刻したら、もう無いわと言われたのも良い経験
毎日1.5ドルの安いピザを食べてたな、ハングリーであることを噛み締めた街

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フィラデルフィアはチーズステーキという、
焼いた肉にチーズをかけてパンで挟むという何とも消化に悪そうな
でもチーズバーガーのようなアメリカンなそんな食べ物が生まれた場所で
ペンシルベニア州立大学という名門大学がありつつ治安はそこそこ悪いという
色んなアメリカの集積のような街でした。

この街もそこそこセキュリティが厳しく、隣の駅に移動した瞬間に
警備員が飛んできて写真が撮れなくなったりしてマークされてました。
そんな都市に限ってあまりデザイン的にイケてる駅はないので移動しました。

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次のボルティモアは周りの人から地下鉄に行くことを止められるくらい
治安が悪い。今はもっと悪いのかな。ハリボテの街で陰陽が強い印象。
そして写真も残してないくらいデザイン的にも残念でそもそも暗すぎたり
黒人しか地下鉄を使ってなかったりして、カメラを出すのも危険を感じた。

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次のワシントンDCはまさに監視社会だった。
監視カメラも多くて自分(駅の写真を撮ってるアジア人)の情報は
次の駅でも共有されてたから、カメラを出したらすぐ止められた。
しかし写真に見えるように監視社会のデザインというのも美しかった。

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その後メキシコシティに飛んで、約200の駅を全て撮り終える頃には
疲れ果て、北へ他の街に行くはずが南へマヤのジャングルに入りました。

そして泊まった宿の横の川が夜の内に氾濫し、朝起きたら荷物が水浸し
カメラは水没してこの旅は終わりました。

何かを失うから、新しいものが得られる。
人生はそんなものかもしれない。
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