「どっちを選べばいいの?から卒業する方法」

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 比較そして悟り

「比較」それが人の混乱の始まりです。比較のないところに迷いも混乱もありません。
「どちらが得なんだろう?」「どっちが自分にとってプラスになる?」「どの道が幸せに繋がるの?」
比較は常にあなたを悩ませます。どちらを選ぶべきか判断がつかないところが迷いでしょう。選択を間違えたという思い込みが、あなたに後悔という感情を引き起こします。あなたはそれを恐れています。
過去の失敗体験が、今判断しようとしているあなたに「また間違えたら大変なことになる」と脅しをかけます。過去の記憶というエネルギーが今のあなたに働きかけている状態です。
慎重に選ばないと、間違った選択をして取り返しのつかないことになったら大変だと、まだ見ぬ未来を心配します。未来の不安というエネルギーが今のあなたを縛っている状態です。
**悩みとは、あなたの意識が今この瞬間から離れた状態のことです。**
比較したときに初めて「損した」という感情が起きます。比較して初めて「間違った」と判断します。比較しない限り、損をしたという思いは起きてこないでしょう。比較判断のないところには、結果さえ存在できないのです。
ではどうしてあなたは比較をするのでしょう。比較から混乱、苦しみがやってくるのなら、比較しなければ良いのではないでしょうか。
それは、結果には「良い結果」と「悪い結果」とがあるとするあなたの考え方が原因です。自分にとって「都合の良いこと」と「都合の悪いこと」があるのだと、あなたは信じ込んでおり、これまでそのことを疑ったことさえなかったのではないでしょうか。
**この世に「良いこと」と「悪いこと」はないのだ。本当にそんなものはないのだと伝えられました。右を選べば右の道があり、左を選べば左の道があるだけです。右の道を選べば右の体験があり、左の道を選べば左の道の体験があります。その体験に、良いも悪いもありません。ただその体験をしているだけです。そして右を体験し尽くした人はその体験による学びが終わり、次には自然と左の体験を望むようになってきます。**
**例えば、ずっと安定した会社員生活を送ってきた人が、ある日突然フリーランスになりたくなる。逆に、自由業で波乱万丈な日々を過ごしてきた人が、安定を求めるようになる。それは良いとか悪いとかではなく、単に「まだ体験していないこと」への自然な欲求なのです。**
**人はあらゆる体験をするために肉体を持ちました。神には出来ないあらゆる体験をするためにです。そして単にまだしていない体験に対して欲望がわいてくるようになっているにすぎません。**
従ってあなたは望む通りに、欲望の通りに、行動を起こしていけばいいわけです。そのことに意味をつける必要はありません。比較する必要などありません。あなたは全ての体験をし尽くすために今ここにいます。
**例えば、今あなたが「人を傷つけたくない」と自然に思うのは、きっと既に過去世でそういう体験とその結果の痛みを十分に味わい尽くしているからなのかもしれません。親や先生から「人を傷つけてはいけない」と教わったから否定しているわけではないはず。そんなことは教わる前から知っていたのではないでしょうか。それはあなたの魂の記憶に刻まれているからなのだと思いませんか?**
だとしたら、どんな体験でさえ大変貴重な学びであったといえるはずです。あなたのする体験に「良い体験」も「悪い体験」もありません。あなたのする体験に「得な体験」も「損な体験」さえもありません。ですから起こってきた結果を比較することにどんな意味もありません。
このことが心の底から本当に理解できたとき、あなたはもはや比較や判断といった古くからの習慣から解放されることでしょう。あなたは「右にしようか左にしようか」と迷わなくなります。それはどちらでも良いからです。
その心境がブッダの言った「中道」ということなのではないでしょうか。そこが我々の目指す最終ゴール、ニュートラルポイント、宇宙の始まり特異点のことです。
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私は「全ては一つ」という概念から、あらゆるものの統合を目指してこれまで一貫して進んできました。私の中に「どんなものとも決して別々のものではありたくない」という強い思いがあったからです。
私は小さい時から、見たくないものがありました。それは人の争いです。人と人の対立がイヤでイヤでたまりませんでした。小学生のころ、先生が生徒を叱りつけているのを見るのが、一番の苦痛であったことをはっきりと記憶しています。
**今回、私がここに生まれた理由がそこにあります。そんな私が求め続けたものが完全なる調和でした。物質と精神、善と悪、東洋と西洋、右脳と左脳、良いことと悪いこと、そして自分と他人、そうしたあらゆる二極の対立の統合が目的でした。**
その進む過程の中で私の意識は右に揺れ、左に傾きながら歩んできました。他人の言葉を聞き、現実を見て、意識は上がったり下がったり揺らぎ続けてきました。全ての統合を目指して。大いなる一つに帰り着くことを目的として…。
しかしその「大いなる一つ」とは、目指すゴールではありませんでした。それはもう既にここにありました。もともとそれは今ここにあった事に気づきました。
**「無」とは今ここの「有」の裏側にそのままありました。「無」に帰り着く必要などなかったのです。「無」とはこの「有」なる世界を表現する土台と考えればいいでしょうか。「無」を体験してみたければ、あなたの意識をくるりと裏返しにひっくり返してさえみれば、そこにそれを感じるでしょう。ちょうどメビウスの帯を立体的に作ったものを想像してみると分かりやすいかもしれません。**
**今が一つ、ここが一つ、今このままでここが一つです。ここが無、この表現が無、この裏返しが無、このまま、そのままで無です。今ここが完全なる一つだからこそ、この完全なる二極の次元が存在できます。ですから全てのものが今そのままで完全です。**
このことが分かった瞬間、自分の中の欲望が雲散霧消していることに気づくでしょう。そのとき大安心の境地にいる自分自身を観ることでしょう。
あなたの前に今困った人がいるとするなら、それは単にあなたがその人を困っていると認識しているだけであり、あなた以外に困った人など存在していないのです。あなたが困っているだろうと想像しているだけなのです。
「いや、現実に病気で困っている人がいる」とあなたは言います。それでも私は言います。ずっとずっと上から眺めてみると、病気の役割を演じて何かを気づかせようとしている魂と、その人を見て混乱するという体験を学んでいるあなたがいるだけであることが分かります。
**本当の意味で困っている魂など、どこを探しても見つけ出すことは出来ません。そしてこの言葉を受け取るか、拒否するか、あなたがその絶対的選択権を持っているのです。あなたは創造者です。初めも、そしてこの瞬間も。そしてそうでないふりをすることさえあなたには可能であったということです。**
宇宙の特異点とは今ここに無限にあり、それは皆さん一人一人のハートチャクラの中心にあります。瞬間瞬間の今ここにあります。未来のいつかにではなく、そうだと悟ったとき、それは今あなたのそこにありました。
欲望を通して求め、求め尽くして…、そして調和はもともと初めから今ここにありました。ここがこのままで大調和そのものの世界であった事に気づきました。もともと不調和などどこにもないのだと分かりました。
**大宇宙のほんの一部を近視眼的に、そのミクロ部分をとらえたときに、そこが不調和と映っているにすぎないのだと悟りました。まるで、美しい絵画を虫眼鏡で一点だけ見つめて「これは汚い色だ」と言っているようなものです。少し離れて全体を見れば、その一点も美しい調和の一部であることが分かるのです。**
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