ココナラで電話相談サービスを出品している、たっくんです。
私は大阪府在住の鉄道・地理マニアで、普段から鉄道路線に乗って、様々な駅や街を訪れています。
この記事では、大阪城北詰駅(JR東西線)を紹介します。
※写真や文章は準備でき次第、更新します!
【大阪城北詰駅の概要】藤田邸跡公園・造幣局など桜の名所が多い!
大阪城北詰駅は大阪府大阪市都島区に位置するJR東西線の駅です。
大阪城北詰駅は地下駅で、地上への出入口は3か所設置されています。
1・2番出口は片町交差点近くに位置。片町交差点より西は土佐堀通、東は城見通となります。
大阪城北詰駅の北側に位置する藤田邸跡公園は大川沿いに位置し、春は桜の名所として知られています。
【駅構内】1面2線の地下駅。出入口は3か所設置。
大阪城北詰駅は地下駅で、出入口は3か所設置されています。1号・2号出入口は片町交差点近くに位置。大阪ビジネスパーク方面へは1号出入口、大阪城・天満橋方面へは2号出入口が便利です。
藤田邸跡公園へは3号出入口が便利。
通路。
改札付近。2025年4月時点ではみどりの窓口があります。
1面2線の地下駅。ホームには瓢箪(ひょうたん)のデザインがあります。
駅名標。
【片町・綱島町の歴史】
※編集中
【駅周辺/片町】土佐堀通・城見通などが接続する片町交差点。片町橋を渡ると大阪ビジネスパーク。
大阪城北詰駅の1号・2号出入口付近に位置する片町交差点。ここから東方面は城見通。
ここから西方面は土佐堀通。天満橋方面。
北へ進むと、国道2号線・東野田町・都島方面。京阪の高架橋があります。
京阪高架下にジャパンが入居。
片町東交差点で城見通はカーブします。
城見通を南に進み、片町橋を渡ると大阪ビジネスパークです。
【片町線の始発駅だった】旧:片町駅
1997年まではこの場所に片町線の片町駅があり、片町線の始発駅でした。
「学研都市線」と呼ばれている路線は正式名称は「片町線」で、現在は京橋~木津間の路線ですが、1997年までは片町~木津間の路線でした。
1895年(明治28年)に浪速鉄道の片町~四条畷間の開業と同時に片町駅が開業。大阪市街地にできる限り近づけようと、片町に駅が設置されたそうです。
1997年のJR東西線開業に伴い片町駅は廃止となり、片町駅の近くに大阪城北詰駅が開業しました。
【鯰江川に架かっていた】野田橋跡
かつては京阪電車の高架橋南側付近を鯰江川が流れており、野田橋が架かっていました。大坂城から京都へ向かう京街道の経路上に位置し、江戸幕府が管理していた公儀橋に指定されていました。
鯰江川は1930年頃に埋め立てられました。
【京街道の起点】京橋・京橋川魚市場跡
大阪城の北側、寝屋川に架かる京橋です。大阪城から京都へ向かう京街道の起点で、「京へ向かう橋」ということから「京橋」と名付けられ、江戸幕府が管理する公儀橋でした。
橋梁の「京橋」は京橋駅よりも、大阪城北詰駅・天満橋駅の方が近いです。
京橋を渡ると大阪城の虎口の1つである京橋口です。
また京橋付近には京橋川魚市場がありました。大坂で川魚を独占的に扱う市場だったそうです
【駅周辺/綱島町】藤田邸跡公園・藤田美術館など、旧:藤田財閥関連の施設が集まる
大阪城北詰駅3号出入口付近は「綱島町」という住所となります。藤田邸跡公園・藤田美術館へは3号出入口が便利です。
大阪城北詰駅のすぐ東側に藤田美術館があります。
藤田美術館の東側には、旧藤田東邸(淀川邸)を宴会場・結婚式場として活用した「太閤園」がありましたが、2021年に営業終了。創価学会に売却されました。
【藤田財閥のコレクションを展示】藤田美術館
大阪城北詰駅近くにある藤田美術館は、藤田財閥の創始者である藤田伝三郎やその息子らが所有していた、東洋古美術をメインとしたコレクションを展示している博物館です。
2022年にリニューアルオープンしました。
【大川沿いの桜の名所】藤田邸跡公園
藤田邸跡公園は大阪城北詰駅の北側、大阪市都島区綱島町に位置する大川沿いの公園です。大阪城北詰駅3号出入口の西に表門があります。
のちに藤田財閥を築く藤田伝十郎が、明治時代に日本郵船会社大阪支店長屋敷を買い取り、この地に邸宅を築きました。本邸・西邸・東邸など様々な建物があったそうです。
1945年の大阪大空襲で本邸などは焼失しましたが、表門・鉄筋コンクリート造りの蔵などは残りました。
藤田邸跡の北西部は長らく放置されていましたが、2004年に公園として開園。旧藤田邸庭園は大阪市指定名勝です。瓢箪
公園内にある瓢箪池。大阪城北詰駅の壁面にデザインされている「瓢箪」は瓢箪池をイメージしたものと思われます。
藤田邸跡公園は春は桜の名所として知られています。
【なにわ迎賓館】旧:大阪市公館(ザ・ガーデンオリエンタル・大阪)
「ザ・ガーデンオリエンタル・大阪」は大阪市公館として使用されていた建物です。
1959年(昭和34年)に建造。迎賓館として利用され、「なにわ迎賓館」とも呼ばれていました。