【中之島フェスティバルタワー!】肥後橋駅(OsakaMetro四つ橋線/大阪府大阪市西区)

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私は大阪府在住の鉄道・地理マニアで、普段から鉄道路線に乗って、様々な駅や街を訪れています。

この記事では、肥後橋駅(OsakaMetro四つ橋線/大阪府大阪市西区)を紹介します。

※写真や文章は準備でき次第、更新します!

【肥後橋駅の概要】大阪有数のオフィス街!中之島フェスティバルタワーがそびえ立つ

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肥後橋駅は大阪府大阪市西区に位置するOsakaMetro四つ橋線の駅です。

肥後橋駅は肥後橋南詰付近に位置。肥後橋交差点は四つ橋筋と土佐堀通が接続します。
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肥後橋駅周辺は「大阪市西区土佐堀・江戸堀」という住所で、オフィスビルが多く建ち並びます。
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肥後橋を渡って北に進むと「大阪市中央区中之島」という住所で、中之島フェスティバルタワーがそびえ立ちます。

【駅構内】1面2線の構造。京阪渡辺橋駅と連絡。

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肥後橋駅は肥後橋交差点周辺と四つ橋筋に合計12か所出入口が設置されています。中之島・京阪渡辺橋駅方面は4号出口が便利です。
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北改札と南改札が設置されています。
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北改札近くにローソンあり。

※ホームの写真無し。そのうち撮りに行く

【肥後橋・江戸堀・土佐堀の歴史】「下船場」の北東。諸藩の蔵屋敷が集中し、西横堀川・土佐堀川など堀が張り巡らされていた。

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↑現在の肥後橋駅周辺の標準地図(出典:国土地理院ウェブサイト)

1583年に豊臣秀吉が大坂城を築城して以降、城下町として「船場」と呼ばれる地域の開発が始まり、各地から町人が船場に移住しました。

1600年の大坂の陣の後、西横堀川が開削。西横堀川より西側の地域は「下船場」として開発が始まります。現在の肥後橋駅は「下船場」の北東に位置し、駅周辺の住所は「土佐堀」「江戸堀」となっています。

土佐堀川は大阪湾・淀川などに通じ水運の便が良かったことから、江戸時代の土佐堀川沿いは諸藩の蔵屋敷が集まっていました。豊臣期に土佐国の商人が集住する「土佐座」が川沿いにあったことが「土佐堀」という名前の由来ですが、徳川期になると土佐国の商人は西長堀に移住します。

1617年に西横堀川と百間堀川・木津川を結ぶ江戸堀川が開削。徳川幕府(江戸幕府)の時代になって初めて開削された堀だったことが「江戸堀」という名前の由来といわれています。なお江戸堀川は1955年に埋め立てられました。
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↑1940年代の肥後橋駅周辺の航空写真(出典:国土地理院ウェブサイト)
西横堀川・江戸堀川がある。
1908年(明治41年)に大阪駅と湊町駅(現在のJR難波駅)を結ぶ「四つ橋筋」が開業。四つ橋筋は大阪市の南北幹線道路として建設され、大阪市電南北線が四つ橋筋を通っていましたが、1930年代に御堂筋の拡幅・整備が行われると、大阪市の南北幹線道路は御堂筋に移行。四つ橋筋は北行き、御堂筋は南行きの一方通行となっており、これら2つの道路は大阪市の南北方向の移動を支えあっています。
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↑1960年代の肥後橋駅周辺の航空写真(出典:国土地理院ウェブサイト)
西横堀川・江戸堀川は埋め立てられた。
下船場と船場の境界であった西横堀川は1962年(昭和37年)に埋め立てられ、西横堀川跡地には阪神高速1号環状線(北行き)が開通。現在は西横堀川跡地より西側は大阪市西区、東側は大阪市中央区となっています。
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↑1980年代の肥後橋駅周辺の航空写真(出典:国土地理院ウェブサイト)
阪神高速1号環状線が開通済み。
1965年(昭和40年)に地下鉄四つ橋線の西梅田~大国町間が開業すると、この地に肥後橋駅が開業。
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↑2017年の肥後橋駅周辺の航空写真(出典:国土地理院ウェブサイト)
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現在の肥後橋駅周辺はオフィスビルが建ち並び、淀屋橋・中之島などと一体的なオフィス街が形成されています。

【駅周辺】四つ橋筋と土佐堀通と交差する肥後橋交差点。

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肥後橋南詰付近の肥後橋交差点では四つ橋筋・土佐堀通・旧土佐堀通が接続します。
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肥後橋交差点から土佐堀通を西方向に。横断歩道は歩行者で賑わう。
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阪神高速1号と11号を結ぶ、中之島JCTの高架橋。
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肥後橋交差点から四つ橋筋を南方向に。写真左のビルは大同生命大阪本社ビル。

【駅名の由来/肥後藩の蔵屋敷があった】肥後橋

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肥後橋は土佐堀川に架かる四つ橋筋の橋梁で、西区土佐堀と中央区中之島を結んでいます。
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橋の北詰の中之島に肥後藩の蔵屋敷があったことが橋の名前の由来です。肥後橋がかかった後に肥後藩蔵屋敷は別の場所に移ったものの、「肥後橋」の名前はそのまま残りました。

【高さ198mのツインタワー】中之島フェスティバルタワー

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中之島フェスティバルタワーは高さ198mの超高層ビルで、西棟と東棟の2棟が建つツインタワーです。

西棟にはフェスティバルプラザ(商業施設)・香雪美術館・中之島会館・コンラッド大阪(ホテル)、東棟にはフェスティバルホール・朝日新聞大阪本社などなどが入居しています。

【旧ビルの洋風なデザインを受け継ぐ】大同生命大阪本社ビル

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大同生命大阪本社ビルは1993年に完成した地上19階建てのオフィスビルで、大同生命保険大阪本社が入居しています。1925年に完成した大同生命保険肥後橋ビルのテラコッタ外壁などのデザインを受け継ぎながら、現在のビルに建て替えられました。
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この場所には江戸時代の両替商「加島屋(かじまや)」の邸宅がありました。加島屋9代当主の広岡久右衛門正教は、明治時代に加島銀行を設立したのち、保険会社数社を合併して「大同生命」を設立し、この地に拠点を構えました。

【駅周辺/南】四つ橋筋を南へ。オフィスビルが多く建ち並ぶ!

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肥後橋交差点から四つ橋筋を南へ。肥後橋南交差点近くに松屋あり。それにしても中之島フェスティバルタワーかっこええわ~。
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四つ橋筋沿いにはオフィスビルが建ち並び、肥後橋は大阪有数のオフィスビルの1つです。
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四つ橋筋は北行きの一方通行です。
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アーセンティア迎賓館大阪。結婚式場です。
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【「日本一短いアーケード商店街」だった】肥後橋商店街

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肥後橋駅・四つ橋筋から1本西を南北方向に通る肥後橋西筋のうち、損保ジャパン肥後橋ビルの西側付近は「肥後橋商店街」となっています。

2016年までは全長79mのアーケードが設置されており、「日本一短い商店街」を自称していましたが撤去されてしまいました。

※写真追加したい。

【駅周辺/南西】飲食店が集まる。江戸堀上通・籠屋町筋

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肥後橋駅の西側、江戸堀1丁目の江戸堀上通・籠屋町筋沿いには飲食店が集まっています。
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肥後橋駅周辺はオフィスビルが多いため、平日昼間はランチを楽しむサラリーマン・OLで賑わいます。
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【駅周辺/西】土佐堀通を西へ。

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肥後橋駅から土佐堀通を西へ進みます。不動産・うどん屋など。
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ダイコクドラッグ、ラーメン屋。
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中華料理店。
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【国の登録有形文化財/レトロビル】山内ビル

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肥後橋交差点の西、旧土佐堀通沿いに建つ山内ビルは1930年(昭和5年)に完成し、国の登録有形文化財に指定されています。山内香法律特許事務所として建設され、現在はイタリア料理店が入居しています。

【旧:西横堀川】阪神高速1号環状線 土佐堀出口

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肥後橋交差点の南東に位置する、阪神高速1号環状線土佐堀出口です。阪神高速1号環状線は大阪市中心部を時計回り一方通行で環状する高速道路で、土佐堀は出口専用です。

この付近の阪神高速1号環状線の高架橋は、1962年に埋め立てられた西横堀川跡地に建設されています。高架橋より写真手前は大阪市西区、写真奥は大阪市中央区。高架橋より東へ進み、住友ビルディング・三井住友銀行大阪本店ビルなど住友グループのオフィスビルが建ち並ぶ「住友村」を通り抜けると、淀屋橋駅付近です。
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