こんにちは!
なんとかブログが続いていて、自分でも驚いています笑
今日は、『僕の人生について』ということで僕が感じている”生きづらさ”について、少し綴っていこうと思います。
僕が感じる”生きづらさ”
ココナラ上でも謳っていますが、”繊細さん”気質であることをここ5年くらいで自覚しています。気質であって、病気のように治るものではないのでうまく向き合っていこうとは思っています。
また、”愛着障害”や”ADHD”持ち合わせている気がしています。
ADHDについてはなんとなく、この症状もあるよなぁくらいなので軽度かなぁとは思っています。病院にかかっているわけではないので、あくまで自己判断です。
”愛着障害”についてざっっっくり説明すると、幼少期に親から与えられるはずだった”無条件の愛情”が受けられず自己肯定感が乏しくなり、歪んだ認知や性格で大人になってしまい、仕事や人間関係を拗らせてしまうことがあります。
これに気付いたのは最近です。気付く前は、キャリア形成の仕方が分からなかったり、人間関係や趣味において、自己肯定感で低いことが原因で『思うようにいかないことが多いなぁ』と感じてはいました。
欲しかった”愛情”
とある日、奥さんと喧嘩してしまい『この生きづらさ・苦しさはなんなんだろう』と夜も眠れず、藁にもすがる思いでYoutubeを未漁りました。普段はYoutubeを観る習慣がないのですが、この時”愛着障害”というものを初めて知りました。
僕の両親は小学3年の頃に離婚しています。その間、二人が喧嘩していない日を覚えていないくらい喧嘩が絶えませんでした。途中で父と別居していますが、あまり子供との向き合い方が分からない人で、”欲しいものを買ってくれる人”くらいしかイメージがありません。
それのせいか、いまだに”父親”がどんな存在なのかわかりません。理想の父親像よりも、なりたくない父親のイメージばかり湧いてきます。
母は綺麗な人で、友達からいつも羨ましがられていました。でも”綺麗”と思ったことはなく、いつもヒステリックで泣き喚いているイメージでした。もちろん、愛してくれていることはわかっているし、落ち着いていれば優しく面白い人でした。
幼少期の僕は両親の喧嘩を『ひどいものではない、みんなこんな感じだ』と思い込んでいました。ものすごく印象に残っているのが、母が胸元に包丁を突き立てているシーンと、父が投げたコップが僕の目の前で割れて足を怪我したシーンです。今思えば、『子供の前で何してくれてんだ』って感じです。
僕には妹もいて、離婚が成立してからは3人で祖父母と暮らしていました。
この妹も癖がある子で、”妹あるある”なのか母も僕も妹を怒らせないよう、毎日気を遣っていました。いつからそうなってしまったのかは思い出せないのですが、とにかく食べるものや遊びに行く時も、妹の機嫌次第でした。
思春期になると「死ね」とか「人間としてクズ」とか言われるようになり、僕はいつしか全てを我慢し、ただただ黙っている人間になりました。母は妹の代わりに謝ることと「わかってあげてね」と言うばかりで、ほとんど僕の気持ちを聞こうとはしてくれませんでした。母なりの優しさだったのかもしれませんが、妹に気を遣うこと自体に疲れて僕に気を向ける余裕はなかったのでしょう。
何をするにも、”僕の気持ち”を優先できない環境でした。今ははっきりとわかりますが、僕はただただ気持ちを吐き出して、「そっか、そんな風に思うんだね」と言って欲しかった。僕の話を聞くために時間を作って欲しかった。否定もせず、ただ聞いて欲しかった。
それだけなんです。
家族といるのに、ただただ”孤独”を感じていました。それは次第に”誰といても”に変わっていきました。
おわりに
いかんいかん、これを綴り始めると本当にキリがなくなるので、また今度にします。リアルタイムでうまくいかないことが続いてしまって、自信を喪失しています。
自信がなくなったり、生きづらさを感じるたびに『望んでこうなっているわけじゃないのに…』と落胆し、悲しくなります。
不思議ですよね、家族から受けた傷は誰に癒してもらえるわけでもなく、誰かに見えるわけでもないので自分で癒さなければいけない。望んでもないのに”生きづらさ”にまでなってしまう。本当に迷惑でしかない。
とまぁ、ブラックな自分がいることもまた事実😇本当の自分が少しずつ明るい場所に出てこれたらいいな。
明日は何を綴ろうかな🤔