お盆の静けさの中、ふと思い出すのは、もう遠い昭和の日の記憶です。
中学校の社会科(公民)の授業で、「権利」について学びました。
その中にあった「生活保護」という言葉。
まだ子供?だった私は、その言葉を安易に捉え、家でダラダラしている時に父に言われた
「勉強しないと食っていけないぞ!」という言葉に、軽い気持ちでこう言い返しました。
「いいもん!生活保護を受けるから!」
今でも鮮明に覚えています。次の瞬間、父の怒りが爆発し、しこたま殴られました。
当時の私には、父の激しい怒りの理由などわかるはずもありませんでした。
ただただ痛くて、理不尽だと感じただけでした。
しかし、時が経ち、父がかつて立ち上げた会社を倒産させ、極貧の中で誰にも頼らず、
文字通り歯を食いしばって生きてきた男だったと知るにつれ、
あの日の父の怒りの深さが、痛いほど理解できるようになったのです。
「権利」という言葉の裏にある、父の必死の生き様。
それは、綺麗事だけでは語れない、現実の厳しさそのものだったのでしょう。
大人になり、様々なニュースや出来事に触れる中で、私は父の言葉を何度も思い出しました。
・働きすぎると生活保護がもらえないからと仕事をしないシングルマザー。
・日本の生活保護と高校無償化を狙って来日する近隣外国人。
・生活保護をもらいながら高級車を乗り回す反社会的な人々。
もちろん、本当に困窮し、生活保護を必要としている方々がいることも理解しています。
制度があること自体は決して間違いではありません。
しかし、現実として、制度の歪みや不正受給の存在も目の当たりにしてきました。
公民の授業で学んだ「権利」は、確かに大切です。
誰もが人間らしい生活を送る権利を持つべきでしょう。
しかし、その権利を主張する前に、私たちは自分の足で立ち、
精一杯生きる努力をしなければならないのではないでしょうか。
あの時、中学生の私に拳を振るった父は、言葉ではなく、
その生き様を通して私に大切なことを教えてくれたのだと思います。
「権利」を理解することも大切ですが、その権利に安易に寄りかかるのではなく、
父のようにどんな困難にも立ち向かい、自分の力で生きていく強さを持ちたい。
お盆の静かな夜に、改めてそう強く思うのです。