時の住人*ある老婦人の手紙

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学び
今から20年近く前の事
大学の心理学科の教授から「認知症でも、その人を見なさい」
そう言って教えられた手紙を、ご紹介します。
それは
イギリスのヨークシャーにある老人病院で亡くなった、
ひとりの認知症の老婦人が主人公です。
認知症で、話しかけることに答えないし
普通にするべきことが、全くできない。
こちらのを正確に分かっているのかも、よくわからない状況。
認知症という言葉が無かった時代で
老婦人のことは「そういうものだ」と誰もが諦めの感情を持って対応していたのだと思います。
しかし
老婦人が亡くなった時、老婦人のベッドを片付けている時に
1枚のメモが見つかったとのことでした。
メモは、病院の看護婦たちに大きな衝撃を与えたと教授は言いました。

その後、大学の卒業生たちがネットに書き込んでいました。
私もその一人です。
そして、実習生の指導の時や、ケアマネさんたち、新人職員や周りの人に
紹介しています。

このブログでも、訪問していただいたあなたに
お伝えすることができればと思い
コラムとして
書かせていただきました。




ある老婦人の手紙
何が見えるの看護婦さん。あなたには何が見えるの

あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう。
気むずかしいおばあさん。利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく
目をうつろに彷徨わせて、
食べ物はぽろぽろこぼし、返事もしない。

あなたが大声で「お願いだからやってみて」といっても
あなたのしていることに気付かないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる。

おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている。
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたが考えていること、あなたが見ているものではありませんか。
でも目を開けてごらんなさい看護婦さん、
あなたは私を見てはいないのですよ。

私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が、
あなたの命ずるままに起き上がるこの私が、
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか。
わたしは十歳の子供でした。父がいて、母がいて、
きょうだいがいて、皆お互いに愛し合っていました。
十六歳の少女は足に翼をつけて、
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました。

二十歳でもう花嫁、守ると約束した誓いを胸にきざんで、
私の心は躍っていました。

二十五歳で私は子供を生みました。
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした。

三十歳、子供はみるみる大きくなる。
永遠に続くはずのきずなで母子はお互いに結ばれて、
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった。

でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました。
五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました。
愛する夫と私は再び子供に会ったのです。

暗い日々が訪れました。
夫が死んだのです。
先のことを考え――不安で震えました。
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから、
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました。
いま私はおばあさんになりました。
自然の女神は残酷です。
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談、
体はぼろぼろ、優雅さも気力も失せ、
かって心があったところには今では石ころがあるだけ。

でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて、
何度も何度も私の使い古しの心は膨らむ。

喜びを思い出し、苦しみを思い出す、
そして人生をもう一度愛して生き直す。
年月はあまりに短すぎ、あまりに遠く過ぎてしまったと私は思うの
そして、何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです。
だから目を開けてよ、看護婦さんー目を開けてみてください。
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよくみて!



様々な生き方、人生に向かい合ってきました。
出会う度、支援方法と考える度
そこでは
この手紙が、人と向き合うための羅針盤になっています。


あなたの心には、何が残りましたか?




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