見つけてくださってありがとうございます^^かな♡です。
メリークリスマス🎄✨また、少しご無沙汰してしまいましたが、みなさん、素敵なクリスマスをお過ごしでしょうか?
私の方はというと、忙殺されていました😂
さて、以下、私の敬愛する先生のお一人、杉原先生のご著書から引用させて頂きました↓
「共感とは何でしょうか?」
多くの人は、共感とは相手の感じているのと同じ感情を具体的にそっくりそのまま感じることだと考えています。
共感をこのように考えれば、そんなことはあるかもしれないし、ないかもしれないとしか言いようがありません。たとえあったとしても、そんなことは確認のしようがない、とても不確かなことです。
多くの人は、共感をこのように定義づけた上で、「共感なんて本当にできるのか?」という問いをくり返しくり返し、問いかけ続けます。あるときは「もしかするとできるのかも」と希望を抱きながら、あるときは「どうせできっこないだろう」と絶望的な気分に陥りながら、その両極の間を行ったり来たりしているのです。
このことと並行して、多くの人が〝共感されたい〟という気持ちと同時に、〝絶対に共感されたくない〟という気持ちを抱いているように思います。
苦悩を抱えた人は、その苦悩が深ければ深いほど、「その気持ち、分かるよ」などと簡単に言われると、腹が立つものです。そう言われると「お前の苦悩なんて、その辺にどこにでも転がっているよくある苦悩だ、みんなそれぐらいの苦しみを味わいながら生きているんだ」と言われているように感じられるのかもしれません。
あるいは、その人は、自分の苦悩の独自性を尊重されたいと願っているのかもしれません。確かに、どの人の苦悩も、他の誰かの苦悩とも違う、その人だけのものです。同じような言葉で語られていても、やはり一人ひとり、苦悩の中身は違います。そして何よりもまず、その苦悩を味わっているのは、この世にただ一人、独自の存在であるその人でしかないのです。その意味で、どこまでいってもその苦悩はその人に独自のもので、他の誰にも絶対に分かりえないものです。
引用元:杉原保史
『プロカウンセラーの共感の技術』
(創元社,2015年)
1共感とは何か P17
この一節は、この本の、本当に最初の最初に書かれていることなのですが、いや、ホントに、そう思うよなと、思ってしまいました。
傾聴やカウンセリングを学ぶと「共感しましょう」みたいに、安易に『共感』という二文字が出てきますが、本当の『共感』って、とってもとっても難しいことだと思うのです。
共感されたいけど、絶対に共感されたくないという二つの思い、私にもありました。
『兄の自死』においては、家族間でも、その気持ちの共有は、とても難しかったです。というかできませんでした。
その気持ちが痛ければ痛いほど、わかってほしいけど、安易にわかったと言われたくなかったです。
っというか、厳密には、その気持ちの本当のところは、その本人にしかわからないと、私も思っています。
ただ、その痛みの経験、『心の痛さ』は、痛さを味わった人間として、共有できるのではないかと思っていて、それが『共感』する力になっているのではないかと感じています。
クリスマスに相応しくないお題だったかもですが、『心の痛さ』を『心の勲章』だと思うようになった訳を、少しお話ししてみました✨
最後までお読みくださって、ありがとうございます^^もし良ければ、♡をお願いします。
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今日もお疲れさまでした✨