毒親と過ごした日々~子供編~

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コラム
うちは、母親が毒親です。

当時は子供だったので全然気づかなかったのですが、今思い返すと中々ひどいことを言われたり、されたりしていたなと思います。

どんなことがあったのか、子供の頃のことを少し書かせていただきます。


妹が産まれて始まった


私が5歳の時、妹が産まれました。

妹が大きくなり、自我が芽生え始めた頃から

お姉ちゃんなんだから我慢しなさい!

お姉ちゃんのくせに!

などという、お姉ちゃん差別が始まりました。

当時5,6歳だった私は、そう言われ続け、いらだちと、妹のことが嫌い、憎らしいとすら思うような、最悪な精神状態でした。


妹と喧嘩して叩いてしまう

そんな日々が続いてた時に、妹と喧嘩をしました。

"憎らしい"と思っていたこともあり、思いっきり叩いてしまいました。

直後、妹がものすごく泣き、なんてことをしてしまったんだと後悔しました。

妹の泣き声で、母が慌てて飛んできました。

『何したの!?』

と言われ

「思いっきり叩いちゃった・・・」

と言うと

『何やってんだよ!!』

と言われると同時に私が母に殴られ、タンスに思いっきり耳を打ちつけ、私も大泣きしました。

しばらくしてから、母に

「耳がすごい痛いんだけど・・・」

と言うと、まさかの言葉が。

ざまあみろ

でした。

私は言われた言葉が信じられず、その後のことは覚えていません。


さらに弟が産まれ、もはや子守り要員


さらに弟が産まれてからは、よく子守りをさせられました。

6年生の頃は、友達と遊びに行く時も、弟も連れてけと言われて連れていってました。

嫌だと言っても

『お母さんは疲れてるんだから連れてけ!』

と、私のことは何も考えない発言ばかりでした。

案の定、私と遊ぶといつも弟がついてくるから遊びたくない。

と言われ、友達は減っていきました。

6年生の時、遺書を書く→母に見つかる


小学6年生の一時期、自律神経失調症を患いました。

その時は、病気の影響で精神的にも不安定であり、毒母の妹弟差別に疲れていたこともあり、こっそりと遺書(半分は母への文句)を書いては、自分の机の引き出しに隠していました。

ですが、本当に死ぬ勇気はなく、今思うと、自分の気持ちを書き殴ってストレス発散していたんだと思います。

ある日、家で親戚の集まりがありました。

みんなで食事をして、楽しく話をしていると母が突然

『ここで面白いものを発表しまーす!!』

とニコニコしながら言ってるので

面白いものってなんだろう??

とワクワクしていると、母が何か読み始めました。

『お母さん、今まで差別しながら育ててくれて、ありがとうございました。

私はもう耐えきれないので・・・』

と、読んでいるそれは、まさかの私の書いた遺書でした。

気づくなり、すぐさま母に飛びかかり

「やめて!!返して!!」

と言ったのですが、私を押しのけ読み続けます。

しまいには、妹と弟に、私を部屋から追い出してと命令をし、私はリビングから追い出されてしましました。

リビングの外からも、扉を叩き、泣きながらやめるように叫んでたのですが一向にやめず、見かねた叔父と祖母がとめてくれました。

やっとリビングに入り、遺書を奪い返し、号泣していると母が

何が差別して育てられただよ、ふざけんな。

と言われ、書いた私が悪い、と責め立てられました。

今思い返すと、自分でも信じられない出来事です。

ですが、子供の時って親がおかしいって発想が出てこないんですよね。

むしろ、親の言うことは正しいんだ。

くらいに思ってしまいますよね。

こうして、全部を否定されて育てられた私は、自己肯定感がとても低い人間に成長していきました。

私は毒親のことを、誰にも相談できずに30年くらい過ごしてきました。

本当に本当に辛かったです。

もし、私と同じように苦しんでる方は、1人で抱えこまず、頼っていただけたらと思います。




辛かったり、おかしいかな?

と思った時は、私でなくても、あなたが話しやすい方にお話して、少しでも心を軽くしてくださいね。

最後までよんでいただき、ありがとうございます☆




















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