「自己満足」って、悪いこと?
働いていて、同僚に「それって自己満足じゃない?」
そう言われたことがある。厳密にはそんなストレートではないけど、ほぼ似たような文言だった気がするな。
それがいまも喉につかえているから文字に起こして供養しようと思う記事。
という自己満足('ω')
“自己満足”という言葉は、どこかネガティブな響きを持っている。
独りよがり、意味がない、誰にも求められていない、、、
そんなニュアンスを含んでいるようで、まるで「そんなことして、何になるの?」と問われているようにも聞こえたんだよな。
だけど、ふと思った。
「それって自己満足じゃない?」という言葉の裏には、何があるのだろう。
それは“他人からの評価がない”ことを意味しているのかもしれない。
つまり「誰かに褒められてない」「誰かの役に立ってない」から意味がないと。
僕は思う
誰にも認められなくても、自分が「やってよかった」と思えること。
それこそが、自分にとっての“確かな価値”だと。
「誰かの評価」を求めすぎると、ツライ
人に褒められたい、人の役に立ちたい、誰かに必要とされたい。
そんな思いは、きっと誰の中にもある。
そしてそれは、自然なことでもある。
けれど、いつの間にかその気持ちが過剰になっていたら、どうだろうか
「誰かに認められなければ意味がない」
「感謝されなければ続ける価値がない」
そんな考えにとらわれ始めると、だんだんと自分の行動が
“誰かの評価待ち”になる。
SNSの「いいね」の数、上司や同僚からのフィードバック、友人の反応。
いつもどこかで、“見られている前提”で行動していないだろうか。
そして、期待通りの反応が返ってこないとき、「こんなこと意味あったのかな」と落ち込んでしまう。
人の目を気にしすぎると、自分の感覚が鈍っていく。
「自分がどう思ったか」よりも、「他人がどう見るか」が基準になっていく。
それは、現代において、じわじわと心を疲弊させていく。
「満たされる」という実感は、自分だけの宝物だ
誰かに褒められなくても、拍手がもらえなくても、
心の中でふっと温かいものが灯る瞬間がある。
腹に落ちる、腑に落ちる感覚と似ている。
それが「あぁ、今日もよくやったな」と思えたとき。
この“満たされる感覚”が生まれることがある。
“価値”という言葉は、「他人がつけるもの」になりがち。
でも、第三者以外からの価値だけでなく、自分の中から湧いてくる価値でもあるはずだ。
自己満足を育成する
自分が満たされる感覚を頼りに生きて良い。
小さな実感を積み重ねていくことが、自分の“軸”を育ててくれると信じている。
他人の反応がなくても、「自分にとって必要だった」と思えることを、
何度も何度もくり返すことで、自分の根っこが太く、深くなっていく。
それは、まるで見えない地下に根を張る植物のようだ。
花は咲いていないかもしれない。
でも、確かに水を吸って、育っている。
そして不思議なことに、そうやって自分を満たしていくと
いつもまにかその過程が「自信」に変わっていく。
だから今日も、自分の小さな「満足」を信じて生きていく。
自分の“よかった”を積み重ねていく。