★日本の夏は抹茶かき氷

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かき氷(かきごおり、欠き氷)とは、氷を細かく削るか砕いて、シロップ等をかけた氷菓です。餡やコンデンスミルクをかけることもあります。
氷は古くは鉋(かんな)などで粒状に削っていましたが、現在は専用の機械を用います。
市販品として、カップに細かく砕いた氷と各種シロップを混ぜてカップ容器や袋に入れた製品も売られています。
日本以外にも類似のものが各国にあります。
日本では、かき氷を売っている店は氷旗(白地に赤い文字で「氷」と書かれた幟〈のぼり〉)を掲げていることが多いです。
夏季に社寺の境内で催される祭礼や縁日などでは綿菓子、たこ焼き、焼きそばとともに売られる代表的な縁日物(えんにちもの)の一つになっています。
夏の風物詩、季語の一つでもあります。

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(呼称)
最も一般的に普及している呼び名である「かき氷」は、東京方言の「ぶっかきごおり」に由来します。他の呼称として夏氷(なつごおり)、氷水(こおりみず)などがあります。
近畿では「かちわり(ごおり)」などとも呼ばれています。かき氷以外に、飲料を冷やしたり涼をとったりするのに使われる、砕いた氷は「かち割り」といいます。
日本の喫茶店や洋風の飲食店では、かき氷をフラッペと呼んで提供していることがあります。「フラッぺ」(フランス語: Frappé)は、本来はクラッシュドアイスにリキュールなどの酒類を注いだ飲料のことです。日本ではシロップをかけたかき氷を指すことが多いですが、「かき氷」に対して「フラッペ」は氷の砕き方がやや大粒であるとする説もあります。また大阪府付近など一部の地域では、一旦かき氷状にした氷に掌で圧力をかけて少々固めたものをフラッペと呼び、かき氷とは区別しています。

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(歴史)
史実上の記録は平安時代に清少納言の『枕草子』「あてなるもの」(上品なもの、良いもの)の段に、金属製の器に氷を刃物で削った削り氷(けずりひ、文中では「けつりひ」)に蔓草の一種である甘葛(あまかづら・あまづら、蔦の樹液または甘茶蔓の茎の汁)をかけたとして「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」と記述されています。藤原定家の『明月記』にも登場しています。
製氷技術のなかった当時、夏に氷を求めるにはあらかじめ冬の雪や氷を氷室で保存する以外に方法が無く、かき氷は特権階級しか口にできないものでした。
1869年(明治2年)、神奈川県横浜にある馬車道で町田房造が初めての氷水店を開店(日本においてアイスクリームを発祥させた店でもあります)。
1871年(明治4年)、中川嘉兵衛が五稜郭の外堀で生産した天然氷が「函館氷」と銘打って京浜市場に登場しそれまでのアメリカ合衆国ボストン産の輸入氷「ボストン氷」に比べて良質でかつ低廉でした。
1878年 (明治11年)、粗悪な氷が販売される事を取り締まるために内務省から「氷製造人並販売人取締規則」が公布されました。これにより営業者は、衛生検査に合格した氷の生産地・販売者名を示したのぼりや看板を掲げる事が義務付けられた。この時に配られた旗が現在の氷旗のデザインの元になっています。
1882年(明治15年)頃には博物学者のエドワード・S・モースが、かき氷を食べたことを自著に記しています。
1883年(明治16年)には東京製氷株式会社ができて人工氷の生産が拡大。このようなこともあり明治20年代になると、かき氷は大衆的な飲食物となるに至りました。
1887年(明治20年)には村上半三郎が氷削機(ひょうさくき)を発明して特許を取っています。
1895年夏に、氷店は、東京や横浜では「5歩に1店、10歩に1舗」といわれるほど増え、氷水は1銭、ほか氷イチゴ、氷レモン、氷しるこ等多種ありました。しかし、氷削機が一般化するのは昭和期に入ってからであり、それまでは台鉋を用いて削る方法が一般的でした。
第二次世界大戦前は、削った氷に砂糖をふりかけた「雪]か、砂糖蜜をかけた「みぞれ」、小豆餡をのせた「金時」が普通のメニューでした。戦後、かき氷専用のいちごやレモン風味のシロップが販売されるようになりました。
現代においては夏に涼しさを得られる食べ物としてはアイスクリームもあり、2022年8月にウェザーニューズがスマートフォンの天気アプリの位置情報を利用して実施したアンケート調査によると、アイスクリームよりかき氷を食べたいという回答は、気温に比例して増え、34度を境に過半数(52%)を占めたそうです。

涼し気な雰囲気のサムネにしてみました。
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