私たちが日々生活していく中で、普段は余り深く考えることのない「選択の瞬間」はその重要度に関係なく毎日当たり前に、しかもその人のその時の状況にも全く関係なく訪れ、私たちはその重要度に関係なく訪れる「選択」を常にしながら生きています。
例えば、「車を買う」「家を建てる」「マンションを購入する」「会社を立ち上げる」などの選択はその人にとって重要な選択となり、事前の計画・準備をされる方がほとんどだと思いますが、実際に動き出してみると計画通りにことが進もうが進まなかろうが都度選択することだらけではないでしょうか?
また、何か飲み物を飲もう・外食をしようと思っても同じで、毎回中身を選択しています。
時には離別や復縁・延命について選択をされる方もいれば出産・堕胎の選択をされる方もいますが、どんな選択をされたとしても共通しているのが『選んだことの中身を都度選択していく』ことです。
何を言いたいのかと申しますと、
『選択の瞬間は常にあり重要度はその人の都合』とも取れませんか?
であれば、例えば
ご自身が抱えている問題や悩みを解決したいけれども、どうすれば良いのかわからず解決できていない方がいたとすれば、
『問題や悩みを自分に都合のよい重要度と結果にする』
と設定し、「実際に行動する」ことで解決できるかも知れないという気持ちになっては来ませんか?
違法性のある重要度や結果は勿論いただけませんが、自分にとって都合のよい結果とはその人にとって良いことであり、希望、願望であったりもします。
「都合の良いことを言って...」という言葉をよく聞きますが、それは相手に警戒されている時か、ただ単に自分に都合よく言い逃れをしているだけの状態でありそのような時は、自分だけではなく周りの人をも巻き込んで負のスパイラルを起こしかねません..
しかし、
『自分にとって都合のよい結果(望み)へ向けての行動(努力) をする 』
ことは決して悪いことではなく、もしご自身が悩みを持ってしまった時は、その悩みを悩み続けるのではなく、また悩みをストックして蓄積させていくことでもなく、ご自身の心が「こうしたい」と訴えてくることに視線を向け、その訴えを素直に信じて行動されてみてはいかがでしょうか?
考えるだけで解決出来てしまうものはそもそも悩みではなく、その考えに則り行動することで初めて悩みが解決したり望んでいることが叶ったりします。
つまり悩んでいるだけでは解決しないとなります。
貴方の心からの訴えが正しいのか正しくないのかではなく、その行動に違法性や周りの人に迷惑を掛けてしまうといったことがないのであれば、つい頭をよぎる一般論や一般常識といったものはもはやどうでもよく、その行動による結果がご自身だけではなく周りの人たちにとっても良い結果となれば、それは素晴らしく、凄く素敵なことだと思いますし、貴方が起こす行動によって貴方ご自身だけではなく周りの人も含めて幸せにします。
もし、あなたがとるその行動が間違いであったり、周りの人に迷惑を掛けてしまうことであれば、どんどん先へと進むその前にご自身の心がきっと伝え正してくれるでしょう。
心の訴えを信じて行動するわけですから..
失敗することにも何の問題もありません。
もし失敗をしてしまったならばもう一度違う方法を考えればよく、失敗体験からあなたご自身が得るものは貴方にとってかけがえのない資産となり、その後の貴方が行動する時への自信にも繋がりご自身で行動すること自体を楽しむようになるでしょう。
【問題なのは思うだけで終わることです】
「考えるだけ」「思うだけ」では物理空間に変化は起きません。
物事は行動を起こすことで初めて現実化しますし、はじめにお書きしました「選択の瞬間」はその重要度に関係なく毎日当たり前に、しかもその人のその時の状況にも全く関係なく訪れ、私たちはその重要度に関係なく訪れる選択を常にしながら生きています..
お気づきでしょうか?
私たちは普段、無意識レベルで選択をしていることも多くそれがなければ一日中悩んでいなければなりません..
それなのに常識論に当てはまる物事につきましては自身の表面上の顕在意識、潜在意識共に差別化をしてしまいます。
【私たちには何でも出来る能力が元々備わっています!】
という私なりの思いでした。
※語彙力なく申し訳ありません。
※このブログはMorumoが個人的に解釈していることを書いています。
正解を求める目的はございませんのでご批判はご勘弁ください。
※不快な思いをされた方は申し訳ございません。
以後Morumoをスルーしてください。
※いかなる宗教団体とも繋がりはございません。