他の人と違う事をしようとすると何かと勇気がいるものです。それは信仰を持つという事においても非常に考えさせられた事で、私も今までこの信仰を約20年持ってきました。ここ2年間は報道がわりと過熱していたので改めて過去の私を振り返ってみて考えました。
こんなにも叩かれてても、私は落ち込むことはあっても離教しようとは考えませんでした。端的に言えば信仰を持ったおかげで家庭が持てて今は夫婦で仲良く暮らせているからだと思います。
自分の道を行くという事は、自分自身で何度も、何度も選択して行動して自己決定していく事です。
その結果が今の自分である事は否定しようのない事実だと私は思っています。信仰を辞める選択も出来ましたが、今は辞めずに続けているという選択、信仰を持っていなかったらどんな人生だっただろうかと考えた事もありますが、今の私はこうして信仰を軸にして、仕事、生活、コーチングをしています。
誰かの意見を聞く事は大切です。しかし他の誰でも、あなたのその決定には責任を持つ事が出来ません。
誰かのせい、あるいは何か、環境などのせいにするという事の本当の意味は、自分のステップアップの機会を自ら放り出している事だと私は考えます。
他と私の責任の割合を考えてみましょう、何か仕事で営業の結果であなたの心の中で思う事はなにか?
・俺も1割くらいは悪いかも知れないけど、環境がかなりダメだったな
・まあこの実績が出ないのは9割以上は俺の責任だな
この違いはなんでしょうか?もちろん色んな意味を持っているのですが、これからの姿勢次第で結果が分かれるのではないでしょうか?
松下幸之助さんの有名な言葉で「雨が降っても自分のせい」
という言葉があります。これは今の私にとって大切な言葉です。こんな時だからこそ自分に出来る事があると確信します。