ブロガー・WEBライターで文芸(エッセイ・コラム・小説)を仕事にするなら

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マネー・副業
 WEBライターには「レビューや実作などで小説に関われる仕事を……」ってひとが多い。といってもこれはぼくの肌感ではあるのだけれど、とにかくここ10年で「文章を書く」というのは自己実現(あんまり好きなことばじゃない)とビジネスを両立するスキルとして格段に注目されてきたし、これはブロガーの台頭によって形成された価値観だろう。
 じっさいに、WEBライターにあこがれてエッセイやコラムの仕事をしたい!という若いひとも増えているらしく、こういう相談を受けるライターさんもちらほらいる。ぼくもTwitterのDMを開いているときたしかにたまにこうした相談を受けた記憶がある。
 こうしたケースでは「まずはブログでも開設して書きたいことをとにかくたくさん発信するといいですよ」系のアドバイスに落ち着く(というかそれくらいしか言うことがない)のだけど、何をどのくらいやればいいのか……みたいな話はあんまりされてないしぼく自身もしてこなかったし、ぼく自身もブロガー・WEBライターから文章の仕事をはじめたので、以下ちょっとまとめておこうかなとおもう。

まずは3ヶ月で100記事くらい書いてみる

 自己実現・自己表現のために文筆業を目指す!ことの是非はひとによって意見は変わる。ビジネス意識の強いひとにそんなことをいうと「仕事っつーのはそんなんしゃねーよ。クライアントの課題を解決してだな……」という説教を受ける可能性はメッチャ高いんだけど、ぼくとしては別に動機がそれでも構わないとおもう。だってそれが文章のおもしろさじゃん。
 だけど、思い立つまで文章をあんまり書いてこなかったひとだと「文章を書きたい衝動はあるけれど、なにを書いたらいいかわからん!」って状態からスタートするので、書きたい気持ちを持て余したまま生活に忙殺されてなんもしないまま数年が経ち……みたいなことになりがちだ(こういう話はよく聞く)。
 先に述べた「ブログ開設したら?」というアドバイスは、手を動かしながらじぶんが書きたいこと、文章を表現でやりたいことをじぶんで自覚する作業にもなる。それがあってはじめて「じぶんができることをどうやって仕事にしていくか?」を考えられるようになる。

 じゃあブログを開設したら最初にすべきことは「とにかくたくさん書く」ことだ。このへんはアフィリエイトブロガーのハウツーとおなじになるんだけれど、まずはブログの記事数をとにかく増やすことからはじめたらいい。記事数がないとアクセス数が伸びないって問題もあるのだけれど、それ以上に「じぶんの興味がなにか」「興味のある内容でなにをどのくらい書けるのか」「興味がない分野でなにをどれだけ書けるのか」「興味がないとおもっていた分野でも実は興味が持てる分野はあるのか」をじぶんで把握することのほうが大事で、その過程でじぶんの文章の特徴や文体が形成されていく。やりたいこととできることは違っていたりもする。
 書く前から「じぶんの文体は○○だから……」みたいなことを決めつけているひとはわりといるんだけれど、書く前から「文体」のことを考えられるほど「文体」っていう技術は甘くなくて、それに書けば書くほど文体なんて変わっていくし……なんていうと老害くさくなっちゃうけど、「文体」の変化をたのしむくらいがちょうどいいんじゃない?というのがぼくの持論だ。まずはこれを肌で確かめてみると、いろんな文章を書けるようになる。
 文筆活動をはじめるにあたって「書きたいこと」はべつに最初から持っている必要はない。あるにこしたことはないんだけれど、べつに意味を伝えるだけが文章表現でもないし、文章を書くために文章を書くのだってきちんとした文章表現になる。とにかく、書きたい!とおもったらその日から継続的に書き続けてみるといい。

 ただ、時間があるときにちょこちょこっと書く程度だとよっぽどじゃないほとんど限り意味はない。運良くバズってPVが数万とか数十万とかいっても、長い目でみたら技術・話題のストックがないと仕事としてはうまくいかないし、そうした記事では記事の内容は知られても書き手自身が認知されるのは稀だ。仕事は書き手に発注がくるので、書き手として認知されるためにも継続的にかつ頻繁にブログを更新したほうがいい。
 具体的な目標を挙げるなら「3ヶ月で100記事」が目指しやすいラインだ。1本あたり2000字〜4000字くらいの1日1記事+αで書ければ、WEBメディア的には使いやすい書き手に見えるし、ある程度ブログの軸やカラーが統一できればバスがなくても月1万PVくらいはじゅうぶん目指せる。
 とにかく、文章の書きはじめは「読んでもらう」ことがなによりムズいので、最初の3ヶ月でその下地をつくるという意味でも、「3ヶ月で100本」はちょうどよい目標になるとおもう。

エッセイ・コラムを書きたいひとは「エモい」に頼らないようにする

 文筆を仕事にしたいひと、特に小説やエッセイ・コラムを書きたいひとは日常や読んだ本についての「エモい」文章を書きがちなんだけど、ぼくはあんまりそういう書きかたはオススメしない。文章表現はなにを書いてもいいってさいしょにいったことと矛盾するかもなんだけど、その理由はざっくり2つある。

 ひとつは、そうした切り口で文章を書いているひとがとにかくたくさんいるため、他の書き手と差別化がむずかしくなることだ。
 もちろん、めちゃくちゃセンスあってそれでPVも伸びて反響もめっちゃあるなら(ひとまず)それでもいいんだけれど、あえて乱暴にいえばその類のブログなりWEB記事はこの10年で死ぬほど出てきた。また、それに頼って文章を書いているとどうしても自己完結的な内容になりがちで、扱える話題に幅が出ない。そうなると書けることをじぶんで深掘りしていかないといけなくなるんだけれど、それは次の問題点にもつながる。

 ふたつめは、感情的なリアリティのみに頼りすぎると分析力や話題の幅が育たず、安易な自己模倣におちいってしまう点だ。自己模倣については実のところそこまで悪いことじゃない(大江健三郎と村上春樹を例に書いた記事があるので詳細はそちらを参照)のだけれど、反復的に書いている主題を切実なオブセッションとして扱うにはかなりしっかりした素地と技術が必要になる。それをおろそかにしたまま、「思いつき」だけを書くのは文章を書きはじめて初期の段階では大事なトレーニングになるんだけれど、3ヶ月で100本書いたあとは頭打ちになるとおもったほうがいい。
 特に小説やエッセイなど、表現志向の高い文章を志すひとはエモい体験や感情を軸にした書評エッセイをたくさん書いていて、「じぶんには批評はできない。感じたことを感じたままにしか書けない」と主張しているのをむかしよく見た。これは謙遜や文芸批評に対する畏れ多さから出てきたことばかもしらないのだけれど、記事のロジックの設計や具体的な根拠の提示などは技術的になんとでもなる。それは「できない」のではなく「やっていないだけ」の問題だったりする。
「エモい書評エッセイ」の多くは「エモさ」によってその手続きをすっとばしている傾向があり、「感情的なリアリティ」とするならば文芸的にもっともらしくみえるのだけど、注意深く読んでみるとただ手を抜いているだけだ。
 話題の深掘り・記事の内容の濃さを出すためにも、文芸批評と名乗らなくてもそうした文章を読んだりじぶんで書いてみるのは、とりあえずやってみたほうがいい。

 また、「エモさに頼らず批評志向でやってみる」のは、ひとつめの問題である「差別化」にもつながる。
 WEBライターやメディア編集の仕事をあちこちで手伝っていたとき、めっちゃかんじたのは「記事のロジックや客観的根拠の提示ができる書き手」が非常に少ないということだった。それなしでもおもしろい文章を書けるひとは稀にいるんだけれど、それができないと記事の説得力の担保やリスクヘッジができなかったりするので、仕事として扱うのはむずかしかったりする。「エモさ」で勝負する文章はよくも悪くも書き手に依存しすぎてしまい、そしてそれは書き手によっぽどのキャラクター性がないと成立しない。にもかかわらず、それを目指した文章の書き手はめちゃめちゃ多いのでレッドオーシャンだ。
 要するに、「エモさ」の一点張りだとメディアとして扱いづらい上にレッドオーシャンなので、すぐに文章を仕事にしたいひとにはあんまりオススメできないかな……ってかんじだ。

小説を書きたいひとが実作以外にできること

 小説執筆を仕事にしたいなら、つべこべ言わず小説を書いて新人賞に送るのがいちばん手っ取り早い。このとき、重要なのは送り先をあんまりこだわらないことかな……というのがぼくの持論だ。小説は書き手も読み手も永遠に未熟な分野なので、読み手が変われば評価も変わる。純文学だとおもって書いたものが、純文学でなくSFで評価されるってことも珍しくないので、A賞でダメだったものを畑違いのB賞に送ってみるのもぼくはいいとおもう。
 ちなみに新人賞の原稿再応募について、年に数回ほどTwitterで下読みをやっていると自称しているアカウントが苦言を呈しているが、アレはほんとにくだらない話なので無視してしまって構わないとおもう。下読みは複数の賞を掛け持ちしているケースがあって、A賞でもB賞でもおなじ下読みに当たってしまうことも珍しくないらしい。それについては(その事実を知りようはないんだけれど)本当にただ運が悪かっただけの話。応募作のクオリティ云々については信頼できる友だちに読んでもらうなりじぶんで考えるなり、勝手になんとかするしかないからがんばれ!としかいえない。がんばれ!

 ただ、新人賞だけが作家デビューの方法じゃないのも事実で、新人賞以外のルートで小説を仕事にするならガシガシ小説を書く以外にもできることはある。
 これについては「新人賞をとらずに作家になる話」という記事でも書いたのでそっちを参考にしてもらいたいのだけれど、個人的には「批評意識を持った文芸誌のレビュー記事を書きまくる」というのがオススメだ。
 小説でいちばんむずかしいのは「自作を読んでもらうこと」で、新人賞ジャない場所で小説を読んでもらうにはやっぱり理由がいる。小説投稿サイトだと流行のキーワードをSEO的に攻めていくなどの対策があるのだけれど、そうした潮流にない小説を書いているなら、その方法を使うのはむずかしい。

 小説投稿サイトの利用経験があるひとなら心当たりがあるとおもうのだけど、アマチュア小説は「読んでくれたひとの小説を読みにいく」という文化がある。実はこれは小説投稿サイトじゃなくてもバカにならない。ある作家はこんなことを言った。
 作家には2種類の人間しかいない。エゴサーチをする作家と、エゴサーチをしているのにしていないと言い張る作家だ。
 この真実性はさておき、たとえば文芸誌掲載作品が一般読者にどう読まれているのかをチェックしている作家は多い。とりわけ単行本になる前の若手作家の雑誌掲載作品などは批評機会がそもそも少ないので作家や担当編集にとってありがたかったりする。
 実際にこれをやってネットや同人誌の自作が読まれたりするのはあんまりないかもなんだけれど、集中的に濃いレビューをたくさん書いているととりあえず作家や編集者には認知はされる(実際ぼくはかつてやっていたブログのことを複数の作家さんや編集者さんに知ってもらえていたし、トークイベントに呼んでもらったり書評を書かせてもらったりにつながったりもした。デビュー後だけど)。
 これで小説を仕事にするぜ!というのはそこまで期待できるものじゃないんだけど、原稿を持ち込むきっかけになることもあるので、ないよりは全然マシ!というかんじ。

「文章表現の仕事に向いているひと」とは?


 知らん。だれか教えてくれ。

 ……というのは半分(というか9割くらい)本気なんだけど、めちゃめちゃ才能があってカリスマ性があって強運の持ち主以外はただ文章を書くだけではやっていけない気もする。
 ここで書いたような泥臭い話をするのはぶっちゃけ「ダサい」んだけれど、文章を書きながら次に何ができかを考え続けられるといいよね、とは思います。

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