ソフトランディングの難しさ

記事
学び
日航123便が横田基地への強行着陸を断念した時、高濱機長は腹を決めたはずです。もはや山に強行着陸するしかない。樹木をクッション代わりにして山の斜面をなめるようなイメージでしょう。しかし、もはや機体を水平に保つのが難しく、最後は山の斜面にそのまま突っ込むような形になってしまったのでしょう。では宮澤賢治の場合はどうでしょうか。妹のトシは賢治にとって最愛の人です。妹とか美人とかよりも賢治の文学の唯一にして最大の理解者。つまり文学上の同志を失った賢治が書けなくなってしまったわけです。そしてトシの魂を追って賢治は遠く樺太まで足を伸ばします。当時は列車で行けたのですね。しかしながら賢治はトシの魂に会うことができず、帰路につく列車の中で銀河鉄道の夜を構想するわけです。賢治は別に自分が復活するために書いたわけではないでしょう。何が何でもトシの生きた証を書き残したいという一念だったのではないでしょうか。結果的には賢治の復活へとつながっていくのですが、おそらくは賢治でなければ絶対に書けない物語といえます。夏目漱石がこころを書いた時は26歳。当時は徴兵にとられるぎりぎりの年齢でした。漱石が日露戦争に従軍していないのは丸谷才一が言うように徴兵逃れをしたからではありません。漱石の長兄が気をきかせて漱石の籍を北海道に移したからです。当時は良家の人たちの徴兵逃れの裏技として使われました。確かに漱石は日露戦争に従軍していませんが、こころという不朽の名作を後世に書き残しました。漱石は当時のエリートです。ということは漱石は国家を背負っているのです。国家を背負っている男が日露戦争に従軍できないということは面目を失うことになるわけです。そして心から国家や日露戦争に従軍し、死んでいった若者たちに申し訳ないという罪悪感が生まれるのです。こころが罪悪感から書かれたと自身の論文に書いたのは丸谷才一だし、その一方で漱石は徴兵逃れの卑怯者だとも書いているのです。明らかに悪意のある書き方です。丸谷才一は漱石が徴兵逃れをしていないことを知っていながら、漱石が国家を背負っていることを知っていながら、書いているのです。ナルキッソスの主人公の男の子もきっと大変だったでしょう。何しろセツミとは家でだけは死にたくないということ以外は何の共通点もないのです。それも2人がしっかりと話し合って確認しあったわけでもなく、何となくお互いの雰囲気で察しているといった程度の認識です。作中ではカットされていますが、2人のいさかいは何度もあったはずです。あの物語は男の子が黒子に徹しきったからこそ、いつ空中分解してもおかしくない状況で奇跡に近いソフトランディングに成功したのだと思います。セツミの方からの歩み寄りもありましたが、あの短い2人きりの死のドライブの中で男の子が身勝手な自分を殺してまで成長していったからこそ、何とかぎりぎりのところで踏みとどまって成り立ちえた物語なのだと思います。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す