小学校の子どもたちに語った「私の夢」

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                                                北村敦

私は、4年生のときに野球を覚えました。

 それ以来、私は、夏の暑い日も、
冬の寒い日も年がら年中、
たくさんの友だちを集めて近所の公園で、
日の暮れるまで野球をしていました。 

 名古屋だからふつうは中日ドラゴンズの
ファンになるんですが、
私に野球を教えてくれた子が
阪神タイガースのファンだったので、
私もタイガースのファンになりました。 

  テレビやラジオでタイガース戦が
放送している日は必ず見たり聞いたりする
熱狂的なタイガースファンでした。 

  当時のナゴヤ球場にもよく行きました。 
私は決まって、阪神タイガースの応援団がいる 
外野のレフトスタンドで観戦しました。 

  グローブも持っていってたんですよ。 
なぜって、当時タイガースにいた
ホームランバッター田淵幸一選手の
ホームランを本気で受け取ろうとしていたんです。 

 そして、中学生になっても、
高校生になっても、 
野球が大好きで野球部に入りました。 

 それほどまでに野球がきだったのですが、 
小学生の時の夢は、野球の選手ではありませんでした。 

何だと思いますか?  

なんと私の夢は、 
「お好み焼き屋さん」だったのです! 

 どうして私が、お好み焼き屋さんに
憧れたのかを聞いてください。 

 小学生のころ、土日に朝から野球をすると、  
決まってお昼ごろにはお腹がすいたんです。 

 それで、友達と公園の近くにある
お好み焼き屋さんによく行きました。
お好み焼きも焼きそばも 
本当においしくて、大好きでした。 

 それに何より私は、
沢山のお好み焼きを素早く上手に焼く
おばさんのプロ級の技を見るの が
とっても好きでした。 

 その上、そのおばさんは、その日、
例えば私が70円しか持っていなければ、
70円分の小さなお好み焼きを
焼いてくれるような優しい人で
大好きだったんです。 

 その頃は子ども心に、
一度でいいから大きな鉄板の上で、
同じようにお好み焼きを焼いてみたいと 
思っていたのですよ。 

 さて、それから10年がたち、
20歳のころの夢が、
「小学校の先生になる」ことだったんです。 

大学には入ったものの、
私は何になりたいかまだ 
決まっていませんでした。 

 そんなある日、大好きな先生から、 

「教師というのは、次の時代に活躍する 
 人たちを育てるすばらしい仕事だよ」 

 と言われ、先生になろうと決めたんです。 

 しかし、現実は厳しいものでした。
生活費や学費をかせぐために、
毎日夜遅くまでアルバイトをしなければ、
大学を続けることができず、
本当に苦労しました。

三年生の冬、病気になり入院しました。 
それで、お金がなくなり、
大学を一時休まなければ
ならなくなりました。 

 病気がよくなってから何とか学費をかせぎ、 
一年後、もう一度大学にもどりました。

二年分の単位を一年で、
取らなければなりませんでした。

でも、頑張って猛勉強をしたので、
何とか大学を卒業することができました。 

  けれど、大学を卒業しても、
小学校の先生の仕事に
つくことはできませんでした。 

時間割の都合で、教育実習の単位を取ることが
できなかったからです。

 卒業後、学習塾の教師になりましたが、
夢はあきらめきれませんでした。 

 そこで、仕事をしながら、
小学校の先生になるための免許をとりました。

そして、26歳の時に、 
小学校の教壇に立つことができたのです。 

 しかし、正式な先生になるための
教員採用試験試験に三回も落ちてしまいました。 

 それでも、まわりにいた先輩や友達に
励まされ諦めずに勉強を続け、
試験に挑戦し続けました。 


 その結果、夢を抱いてから10年後、
30才のときに、
ようやく夢を叶えることができたのですよ。 

 今にして思えば、
自分のお父さんお母さんにも 
相当心配をかけたと思いますが、

私が先生になれたことを、
周りにいた人が本当に喜んでくれました。

何より、私は自分の夢を諦めず挑戦し、
夢を実現させたことが、
本当に自分自身の自信になったのです

 私がこの話を通して、
みなさんに伝えたいのは、 
諦めない限り、
夢は叶うということなのですよ。
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