こんにちは。
光の翼 木村 心美です。
いつもブログをお読みくださり、
ありがとうございます♪
あるがままの「私」を生きる。
それだけでいい。
あるがままで
超自然体で
内側から
湧き上がるままに
言葉を発したとしても
湧き上がるままに
行動していても
そんな「私」を
周囲の人たちから
否定されるなら
これ以上はもう
どうしようもない…。
わざわざ
ウソをついてまで
本当の「私」ではない
偽りのイイ人を
演じる必要もない。
品行方正で
模範的でないと
いけないこともない。
だけど…。
たった1人になったとしても
内なる声に従うことを
止めない。
周囲の人たちの
ご機嫌を損ねないように
配慮する為に
「私」は此処に
存在しているのではない。
いくら
この世の中では
品行方正を善としていても…。
たとえ品行方正の方が
より多くの者たちや
周囲からの評価が
爆上がりするとしても…。
上司から
可愛がられ
褒められるとしても…。
本当は違うのに
「私」は、品行方正だ
…という
嘘をつきたくない。
本当の「私」の思いを
無視したり嘘をつくのは、
「私」を粗末に
軽く扱うこと。
これこそが
多くの他者たちから
好かれる在り方だと、
脳で思考して
他者から見える
素晴らしい「私」を演出する。
「私」の放っている
エネルギー通りではない
あるがままではない
多くの者から
好かれるような「私」を
周囲に見せる演技や演出
その機会や
頻度が多いほど
本当の「私」からは、
かけ離れていく。
「私」という小宇宙と
現実世界のズレは
大きくなっていく。
長い年月をかけて
ジワジワと
物事がスムーズに流れなくなり
人生自体が停滞していく。
内なる思いとは
まったく
裏腹な言動をやり続ける事で
内面には
怒りが溜まっていく。
この場合では、
ヒーリングで
怒りを解放していくことで
本当の「私」が現れ始め
次第に
落ち着きを払っていく。
例えば、
報酬という見返りの為に
やりたくもない事をやり
表面上だけの
繕った言葉を表現し続け
本当は怒っているのに
表情では
笑顔を作って見せる。
これらはすべて
「私」の内面を無視しながら
他者から見える目線を意識し
最優先して
演技している状態。
こういった状態を長年
継続していれば、
次第に
肉体や精神を蝕んでいく。
負のエネルギーが浄化されれば
わざわざ
「いい人」を装い演じなくても
俗に言う正真正銘の
「いい人」に
なっていく。
本当の「私」で
ただそこに存在しているだけで
自然とスムーズに流れるように
すべてが上手くいく。
それなのに
その事が
信じられないので、
見返りの報酬と
引き換えに
自身を偽り
コントロールしながら
自力の行動によって
必要とする物質を
得ていかなければならない
…という
厳しくて険しい方の
在り方を選択する。
ヒーリング中、
過去の
恐れのエネルギーを
解放している最中に
「引っ越し代を得るためには、
やりたくない仕事でも
やらなきゃね…!」
…と
頭に白い三角巾を被り
白い作業服を身につけた私が、
やりたくもない
興味もない
食品のライン作業をこなしている
映像イメージが
目の前に現れた…!
ヒーリングをしつつ
その光景を眺めながら
なぜか私は、
「ふむふむ…。(そうだそうだ)」と頷いている。
そしてすぐに
「ハッ…!?何で、ふむふむ頷いているんだ??」と
我に返った。
ハイヤーセルフ、
ムカつくけど
面白すぎる…笑
きっと
「どっちでもいい」
…と
伝えたかったんだろうな…。
遠い過去に
報酬を得るために
非正規バイトをしまくっていた頃の
お金に対する
恐れのエネルギーを
解放してくれたようだ。
このエネルギーが
解放されたという事は、
現実世界で
非正規バイトをするような
機会はもうなくなる。
…という事。
「めんどくさ。
お金のために
やりたくない仕事なんて
もうしたくない…。」
この
内なる「私」の本心の声に従って
行動した結果、
こうして現在の
使命の仕事にたどり着いた。
「そんな事を思ってはいけない。」
「働かない人間は、
周りの他者たちから
怠け者、ダメな奴だと思われる。」
「お金を得るのに、仕事をより好みしてはいけない。」
「働かなければ、生活していけなくなる。」
このような
固定概念に縛られたままでは、
本当の「私」の声に
耳を傾けられないし、
「私、甘いな。何怠けた事を言ってんだ…汗」
…と自己否定をする事になる。
そうして
大切なはずの「私」に
やりたくない事を強制し続ける。
否定をする…ということは、
善悪の観点から
「善い」か「悪い」かを
ジャッジしている。
二元性の
どちらか一方は肯定して
もう一方を否定する。
しかし、
善悪の概念は
人や境遇状況よってコロコロと
反転する。
周囲の声に
過剰に反応して
そんな実体のないものに
振り回され
縛られて
本当の「私」の声を
ないがしろにするなんて勿体ない。
本当の「私」の声を
無視していては、
上手くいくどころか
苦しくなる一方。
圧倒的大多数の他者に
合わせて従っていれば、
間違いないだろう…。
生涯を通して
安泰だろう…。
…とは
言い切れない。
あるがままの「私」に
善いも悪いもない。
「私」が
そんな「私」でヨシ
…としているなら
それでヨシ。
あるがままの
そのままの「私」をヨシとする行為は、
条件のない愛。
この既存社会に
「私」を合わせて
限られた狭い枠の中に
押し込めようとするから
本当の「私」の声を葬り
ごまかし続けなければいけなくなる。
本当のところは、
どう生きようと
正解も間違いもなく
どちらでもいい。
「働いてもいい」
「働かなくてもいい」
二元性の
どちらでもいい。
どちらでもいいし、
内なる声に従い
善悪に
囚われない在り方が、
結果的には「私」を緩めて
平穏と自由に導く。