正月の親戚の集まりは、決まって大きな屋敷で行われた。たかしおじさんはそこの主人なのにも関わらず、いつも端の方でぽつねんとしていた。
それは本人が望んだことだった。たかしおじさんは重度の人見知りで、親戚と関わりたがらなかったのだ。
たかしおじさんは、両親が残した大屋敷の中に一人で暮らしていた。貯金も十分にあったので、働くこともなく、端的にいえば引き籠もっていた。このことが人見知りを克服する機会をたかしおじさんから奪っていた。
たかしおじさんは、年に一度大挙して来る親戚たちを恐れていた。特にけたたましい笑い声を上げながら禿げ頭を叩いて来る子供たちや、無理やり肩を組んで酒臭い息を吐きかけて来る男性たちは絶対に避けたがった。
とはいえ、来客を断る勇気は当然ない。だからたかしおじさんは誰にも絡まれないように、皆の視界の外で気配を殺した。それがたかしおじさんなりの正月をやり過ごす方法だった。
しかし孤立しているという状況だけでも十分に脅威だった。他者が沢山いる。他者たちが内容の聞き取れない会話をしている。これらの事実によって、たかしおじさんは自分が陰口を叩かれていると確信していた。
そしてある年、いつも通り孤立していたたかしおじさんは、幻の嘲笑を遮断する方法を思いついた。それは子供たちが遊び終わった福笑いに手をつけることだった。
台紙ごと手元に引き寄せ、顔のパーツをぐしゃぐしゃにすると、目を瞑り、それらをまともな顔になるであろう位置に移動させる。
もちろん、まともな顔が完成するかどうかは問題ではない。たかしおじさんの目的は作業に没頭することで、他者の存在を感じないようにすることだった。そしてたかしおじさんは何度も福笑いを失敗し、「悔しい」と自分に言い聞かせながら挑戦を繰り返した。
しかし、回数を重ねるごとに福笑いは上達していった。瞼の裏に正確な絵を描けるようになり、今持っているものが左右どちらの眉かも分かるようになっていった。
成功が近付いている実感に、たかしおじさんは焦りを覚えた。終わってしまっては新しい方法を探さないといけない。とはいえわざと失敗することもできない。そもそも真剣にやらないと意味がないのだ。
積み重ねた経験によって、たかしおじさんは指先の感覚だけで眉、目、鼻、口を選び取り、それぞれの適切な配置に置いた。
絶対に上手くいっている。たかしおじさんは闇の中に完璧な顔を描いていた。そして早くも次の現実を遮断する方法を考え始めていた。双六でもあっただろうか、花札は?手段はなんでもいい、とにかく切れ目なく次の作業を始めよう。
たかしおじさんは、直ぐに別の遊び道具を探すつもりで瞼を開いた。しかしその視線は、一点を捉えたまま動かなかった。
「え…。」
思わず声が漏れる。そこにあったのは、たかしおじさんが想像していたまともな顔ではなかった。かといえば乱れていたわけでもなかった。
福笑いは成功していた。それもたかしおじさんが瞳の裏に描いていた以上に顔の整った、絶世の美女が目の前にいたのである。
ずっと引き籠もっていたせいで、たかしおじさんは女性と関わったことがなかった。容姿や年齢に関わらず、女性であれば直視できない程純朴だった。そんなたかしおじさんの眼前に、その顔は現れたのだった。しかもこちらと目を合わせている。
しばらくの間、たかしおじさんは一目惚れの衝撃に狼狽えた。そして我に帰返った時、自分の口が開きっぱなしだったことに気が付いて、慌てて体裁を整えた。正座して、背筋を伸ばした。それは他でもない、福笑いの為だった。
相手を見返すことはできず、たかしおじさんは福笑いの視線を感じながら、真っ赤な顔をして、セーターの毛玉をせっせと取った。それはいつものような後ろ向きな緊張ではなく、高揚感を伴ったものだった。
セーターの毛玉をすっかり取り終わると、たかしおじさんは辺りをキョロキョロと見渡した。これは話題を探す為だったが、直ぐに別の目的に変わった。
視線の先で、子供たちが走り回っている。こちらとの距離はわずかに畳3枚分。いつこちらに駆け寄って来て、この人を壊されるか分からない。
たかしおじさんは警戒の為に、子供たちの動向を注視していた。特に足の動きを見て、畳の縁を越えてこちらに近付いたりした時には肌を粟立てた。
子供たちだけではない。たかしおじさんには、周囲にいる全員がじりじりと迫って来ているような気がした。そして喧噪を打ち破る程の大声が出せない自分に親戚の接近を防ぐ手はないように思われた。
できることは、体で福笑いを覆って守ることだけだった。たかしおじさんはテーブルに突っ伏し、福笑いと鼻を突き合わせ、なるべく相手の顔に当たらないように、息を鼻から、しかも細く吐きながら嵐が過ぎるのを待った。
やがて親戚が一人、また一人と減ってゆくのが分かった。そして「いいよ、寝てるんでしょ。」という誰かの声を最後に、いつもの静寂が訪れた。
恐る恐る顔を上げると、散らかったゴミなどを残して、親戚は全員いなくなっていた。緊張の糸が切れたたかしおじさんは息を吐き、伸びをして固まった体を解した。
ずっと至近距離にいたお陰で、たかしおじさんの福笑いに対する緊張は和らいでいた。親近感さえ覚え始めていた。
「いやはや、一時はどうなることかと…。」
たかしおじさんがねぎらいの言葉をかけようと、福笑いに視線を戻した。そしてその直後、大屋敷中に悲鳴が響き渡った。
福笑いの顔のパーツが少しズレている。端から見れば、それには大した違いではなかったが、たかしおじさんの目には、全くの別人に映った。あの一目惚れした絶世の美女ではなかったのだ。
たかしおじさんは、余りのショックに後悔さえできず、福笑いをその場に置いて、中に酒が残っていた一升瓶を飲み干すと、寝室に行って眠ってしまった。現実を受け入れたのは深夜に目を醒ました時で、たかしおじさんは明かりがついたままの居間に行くと、福笑いの置いてあるテーブルの傍で立ち尽くした。
蛍光灯の青みがかった光が、周囲を舞う埃と共に、その顔を淡泊に照らしている。しばらく眺めている内に、たかしおじさんはテーブルの周囲を歩き回り始めた。諦め切れずに角度のせいにしようとしたのである。そしてこの無謀とも思える行動には、意外にもそれなりの効果があった。最も福笑いが遠くなる位置で少し腰を屈めて見ると、絶世の美女の面影が現れたのである。
とはいえ、さすがに別人であることは認めざるを得ない。しかし元に戻そうとパーツを動かせば、今度は本命の面影さえも失われるかもしれない。しかも永久に。悩んだ末、たかしおじさんはその顔を保存することに決めた。親戚一同で撮った写真を額縁から抜き取ると、慎重に福笑いをはめ込んだ。
改めて正面から見ると、やはり本命とは似てもにつかない。たかしおじさんは溜息を吐くと、居間にある箪笥の上に、一日のほとんどを過ごすテレビの前から本命の顔に見えるように額を斜めに置いた。
しかしその調整は無駄になった。それは絶世の美女を前に日がな一日動かずにいるわけにはいかなかったからだ。てきぱきと掃除をしたり、新聞を読んでみたり、たかしおじさんは以前より活発になった。
福笑いの視線を感じながら過ごしていたある日、たかしおじさんは気が付く。動き回るせいで、本命の顔がほとんど現れていない。この当たり前の事実は、たかしおじさんが福笑いと暮らし始めてから、7日も経ってから発見された。それまでたかしおじさんは、福笑いにアピールするために精力的になっていることを覚られないように、努めて福笑いの方を見ないようにしていたのだ。
本命の手前、定位置の留まっているわけにはいかない。しかし定位置に留まらなければ、本命の顔は現れない。たかしおじさんは袋小路に入った気分だった。
悩んだ挙げ句、これまで通り精力的な生活を送ることにした。この選択は、今の福笑いの顔を一個人として認めて、その中にある本命の要素を楽しむことを意味していた。たかしおじさんは、初日に経験した別れをようやく認めたのだった。
熱狂は収まったものの、年末までは病人のような生活を送っていたたかしおじさんにとって、福笑いが活力になっていることに変わりはなかった。たかしおじさんは次第に今の顔にも愛着を覚えた。今の顔は緊張せずに済むという点において本命よりも優れており、たかしおじさんは同居生活に満足していった。
しかしある時、福笑いに手をつけたことを後悔する出来事が起こる。
背後で物音が鳴り、テレビを見ていたたかしおじさんは振り返った。箪笥の上を注目すると、写真立てが倒れている。「しょうがないなあ…。」と呟きながら腰を上げ、福笑いの元に向かう。
たかしおじさんの口元は緩んでいた。助けを求められているような気がして、庇護欲をそそられたのだ。
甲斐甲斐しく写真立てを手に取り、眺める。この時、たかしおじさんは当たり前のように下から舐めるような角度で見ながら、本命の顔を探した。習慣的に行っていたので、直ぐに絶世の美女が現れた。
溜息。それがたかしおじさんの福笑いの美貌に対する感想だった。言葉で表すのは陳腐に思われた。溜息は保護ガラスを曇らせ、本命の顔を隠した。たかしおじさんは、「ごめんね…。」と語りかけながら、近くに置いてある布で拭いた。
すると次の瞬間、たかしおじさんは寒気を覚えた。自分の顔と、角度が変わったことによって現れた、一緒に住んでいる方の顔が重なっていたのだ。
同居している顔は、変わらない笑顔を浮かべている。このことが、たかしおじさんに強烈な自責の念を抱かせた。同居している顔は、自分が本命の代わりに過ぎないと分かっていても尚、こちらに微笑みかけてくれている。
余りの申し訳なさで、たかしおじさんは衝動的に写真立てから福笑いを出し、パーツをぐしゃぐしゃにしてしまった。あっという間に目も当てられないような、不細工な顔が浮かび上がった。
たかしおじさんはさらにその顔のパーツを無秩序な配置にしてから、写真立てに入れ直すと、半歩下がり、新しい同居人を眺めた。
全く以て、デタラメと表現する他ない顔だった。口と鼻は片方のこめかみの辺りに身を寄せ合うように置かれ、顎の辺りに眉と目によって小さな顔を作っている有様だ。
たかしおじさんは怒り肩で鼻息を鳴らしていた。これはたかしおじさんにとっての自戒だった。「俺みたいなやつには、こいつがお似合いだ。」というつもりである。
それから、たかしおじさんは以前のような快活さを失った。新たな同居人には好かれようともせず、以前のように一日中テレビを見るようになった。その態度は以前よりも傲然としていた。
新しい顔との生活は長く続かなかった。たかしおじさんが内心で相手を見下していることを自覚し、またもや自責の念に駆られたのだ。たかしおじさんは顔が一層不細工になるようにパーツの位置を調整し、以前にも増して愚かな自分に相応しい相手を作った。しかしこの工夫は悪循環の始まりだった。自戒を重ねても、醜女が現れた段階で相手を軽侮してしまうのだ。
やがて目が慣れたのか、たかしおじさんはやがてどのような顔になっても蔑むことはなくなった。しかし悪循環は続いた。ただでさえ低かった自己評価が更に低下し、どのような相手であっても、「俺なんかと一緒にいさせるなんて…。」と思うようになったのだ。
たかしおじさんは福笑いを自分に相応しくなるように醜く変え続けた。その姿はもはや人間の顔と認識できるものではなく、パーツは小片に破られて、顔中に散り散りに広がっていた。たかしおじさんはそれでも福笑いを捨てられなかった。一度解消された孤独感がそれを拒み、この心の弱さがさらにたかしおじさんを辟易とさせた。
このような状況が13年も続いた。しかしある日、福笑いを弄るたかしおじさんの手が止まった。
ピンセットで破片を摘まみ上げたものの、置く場所がない。どこに移動させても、以前一緒に過ごしたことのある顔になってしまうのだ。
たかしおじさんは、遂に福笑いで作り得る全ての顔のパターンを使い果たしてしまったことに気が付いた。正確にはまだパターンの無数があったものの、どのような配置にしても既視感のある顔が浮かび上がるのだ。
そんなはずないと、たかしおじさんは気色ばんで福笑いを触ったが、やがて諦めた。とりあえず顔が床と接するように写真立てを置き、落ち着きを取り戻す為に茶を入れようと台所に向かった。
しかし急須に茶葉を入れようとした時、たかしおじさんはその手を止め、シンクの縁に両肘を乗せると、蛇口を頬に擦らせながら項垂れた。
(もう逃げられない。)とたかしおじさんは思った。まともに関係を築けなかった人々に囲まれ、責められている。そこには福笑いだけではなく親戚も含まれている。結局、自分は誰にも相応しくなかったのだ。
この状況で、たかしおじさんに与えられた選択肢は2つである。自分の顔面を福笑いのように変え、全くの別人になることと、記憶を頼りに本命の顔を作り、それを神のように崇めることだ。どちらにせよ、自己意識からの開放以外に打開策はない。
たかしおじさんは福笑いとの出会いを後悔している。絶世の美女によって、こんな自分が人様から好かれなければいけなくなった運命を恨んでいる。
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