「その態度は子どもにとってギフトになるか」をわかってくれ!
※これは僕をベースにした妻視点の話です。何かの参考になればと思います。
勉強ごとには関わっているつもりでも、その成果にだけ目がいってしまいがちで、プロセスやそれ以外の手に入れられるものに気づいていない、ってこと長らくありました。
先日も中学3年間分の模擬試験を見る機会があり、むむっとなったり、おおぉとなったりしました。が、子どもの前では、模試の結果は見ません。
「見て」と言われたら、見ます。
「どうだった?」と言われたら、
「いいんじゃない」とだけ答えます。
ひとこと付け加えるとしたら、
「問題むずかしいなぁ。これ、もうできるん?」とだけです。
それすらも、「うっざ」と言われることもありますが、大抵は
「もう、解きなおし終わってるで」
と返ってきます。
受検勉強で手に入れた「ギフト」とは?
何も言わなくても、解きなおしをする習慣を手に入れた、ということ。
これが、私たち家族が手に入れた
「ギフト」だと思います。
小学生の頃、受検期はなにかと模試の結果に一喜一憂しがちです。それ自体は悪いことでもなく、次につながっていればいいとは思います。
父親が会社で求められがちな「成果」というものを、子どもの受検で求めがちだったというのが、我が家の課題、いや僕の課題でした。
受検勉強は、仕事とは違う。
これははっきりとさせておかなけらばならないことです。
また、
受検勉強は、物品・サービス購入とも違う。
これもまた同じく、理解しておく必要があると思います。
どちらにも共通するのが
かけた労力・かけたお金に対する
リターンを求めることです。
ということは、受検勉強にリターンを求めてはいけないのか!!!となりがちですが、子どもとの接し方においてはリターンを表だって求めないほうが
いい、というのが僕の経験上の意見です。
もし、模試の結果にシビアに向き合うにしても、将来子どもがどういう勉強との取り組み方をしていけるのかを思い描きながら、対峙するのがいいと思います。
「模試やテストの点数を聞きたがる、ってのは、自分のため」
これ、妻からのことばです。
たしかに、いま、突っ込んだ時間とお金に対して子どもはどういうリターンを得ているのかを「点数」と「合格確率」というもので安心したいだけ、なのかもそんなものがいくらあっても、合格と一直線で直結しているわけではないのに、追い求めてしまう。
ここから逃れられるかが、僕にとっては重要なターニングポイントでした。
これから子どもが延々と向き合っていく勉強というものを嫌いにならないようにしていきたいなと、重ねて思います。