主イエスキリストの御名をほめたたえます!
ニッチなブログをご覧いただき、ありがとうございますm(_ _)m
エホバの証人さんは地獄(永遠のさばき)を否定しますが、聖書の多くの個所で「永遠のさばき」と記述があります。聖書を信じるか信じないか!に尽きるなと思います。信仰の違いなので言い合うことはしません。
地獄よりも天の御国(罪のない世界)
死後の永遠のさばきは死ぬことよりも悲しい事なので
イエスキリストの唯一の救いをこの世を去るまでお伝えしたいのです。
私は地獄の火の池のさばきを免れました。そう確信しているキリスト者です。
選んだのは私ですが(アルミニウス派、ただ信仰は失わない)
聖書を信じるイエス様を信じるのは聖霊が与えた信仰だと思っています。
イエス様の十字架の愛をこれでもかと、知った者として最高の愛を伝えたいのです。神は人の原作者、クリエーター、愛と正義の創造主です。
(聖書では死は滅ぼされるとあり、全ての人が復活してさばきの座に立つ)
それは、信じる者がみな、人の子(キリスト)にあって永遠のいのちを持つためです。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子(キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネの福音書3.16-17
理屈では簡単で、理性では受け入れられないものです。
人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。
箴言 16章
悩み、苦しむ場合、福音派のキリスト教会の牧師、長老に相談するのもお勧めします。問題のあるキリスト教会も多い(自由主義、福音を理解していない牧師、都合のいい優しい言葉だけ語る)です。
メッセージ(無料)を頂けたらお勧めの教会(連絡するだけでも)を紹介致します。私は最後の砦(とりで)として、相談を設けています(>_<)
牧師の地獄解釈
「なるほど」と思ったのでシェア致します。
地獄に行った人は、自分の状況を知り、天での宝が違うように、地獄の熱さもそれぞれの罰の報いによって違うのではないか。
そして、すべて、キリストを信じなかったものが、裁きの座にあって、ゲヘナに投げ込まれる時、嫌でも心から納得して罰を受けるのではないか。
そこに、反抗も、憎悪もなく、全てを示され、全知全能の神の前に後悔し、納得して地獄の日を受け入れざるを得ないと。
納得ってところに納得(笑しました。
考察聖句。神は正義であり、完全であり、適切にさばきをされるとあります。
主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。詩篇11.7
主は義によって世界をさばき、公正をもって国民にさばきを行われる。詩篇 9篇8節
だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。 マタイの福音書5章48
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。ヨハネの黙示録20.13
この聖句は、新しい天と地でのシーンかもわかりません。
ローマ人への手紙 14章11節~12節
次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。
わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。マタイの福音書12.36
ローマ14.11~12は天の御国の1シーンかなと思いました。
さばきの日は、キリスト者はないと思います。
(イエス様の十字架により完全に清められている)
火の池に入る未信者に対して「あらゆる罪が示され、言い逃れはできなく、ひれ伏して(火の池に入る人がひれ伏すのかな?)」認めるのかな。
最後は私の想像となりましたが、神は愛と正義で全人類が自分の報い(良くも悪くも)納得するというのは腑に落ちた話でした。
ではではノシ