【連載小説】第114話 夏の終わり、女たちのそれぞれの結末

【連載小説】第114話 夏の終わり、女たちのそれぞれの結末

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小説

やっと暑さが和らぎ始めた頃。

3連休の前夜とあって、
この日の『クラブ 結』はいつになく賑わっていた。

店内には最後まで笑い声が響き、
営業を終えた美月は、心地よい疲れを感じながら後片付けをしていた。

その時だった。

ドアが開き、
1人の女性が青ざめた顔で入ってきた。

『今晩は……。もう終わりですよね。こんな時間にすみません』

顔を上げると、貴美ちゃんだった。

それほど親しい間柄ではなかったが、
クラブさくらの和子ちゃんと一緒にアフターで何度か来てくれていたので、顔は知っている。

けれど、こんな深夜に1人で訪ねてくるなんて……。

嫌な予感がした。

『いらっしゃい。確か……貴美ちゃんだったわね』

『はい。私のこと覚えていてくださったんですね。よかった……』

『まあ、そんなところに立ってないで座って。どうしたの?顔色が悪いわよ』

『いえ……体はどこも悪くないんです。ただ、ちょっとショックなことがあって……』

やはり何かある。

私は時計を見た。

『ねえ、貴美ちゃん。ちょっと待っててくれる?お店はもう終わりだから、あと少しで帰れるの』

『はい……』

『この近くに美味しいお蕎麦屋さんがあるの。そこのコロッケがね、熱々でやみつきになるくらい美味しいのよ。よかったら一緒に行かない?』

『えっ……私、ご一緒してもいいんですか?』

『何言ってるの。一人じゃ行きにくいでしょ。付き合ってよ』

『……じゃあ、お言葉に甘えて』

そう言って、貴美ちゃんは少しだけ笑った。

何かを抱えている人を、そのまま一人で帰す気にはなれなかった。

その蕎麦屋は、蕎麦屋にしては珍しく深夜まで営業している店で、民芸調の店内はこの時間でも賑わっていた。

幸い席が空いていて、私たちは奥の席に座った。

しばらくして料理が運ばれてくると、私はようやく口を開いた。

『貴美ちゃん。いったい何があったの?』

貴美ちゃんはしばらく黙っていた。

『お店に来てくれたってことは、私に話したいことがあるんでしょう。ゆっくりでいいから聞かせて』

『それが……何から話したらいいのか……』

『和子ちゃんのこと?』

貴美ちゃんが顔を上げた。

『……はい』

『和ちゃんね。最近会ってないけど、まだクラブさくらにいるんでしょ?』

『はい。それと……唐澤さんのことなんです』

『唐澤さん?』

その名前を聞いた瞬間、胸の奥に小さなざわめきが走った。

『何かあったの?』

貴美ちゃんは俯いたまま、ゆっくり話し始めた。

『私……見てしまったんです』

『何を?』

『見なくてもよかったものを……』

声が震えていた。

『大丈夫よ。慌てなくていいから』

『唐澤の携帯を……見てしまったんです』

『唐澤さんの携帯を?』

『はい……』

貴美ちゃんは一度息を整えた。

『和子さんには内緒なんですけど……私、唐澤と付き合っていました』

『……そうだったの』

『でも最近、何かおかしいんです。行動が不自然で……』

少しずつ話を聞いていくと、唐澤が父親の入院を理由にしていた日に、銀座で別の女性と歩いているところを見かけたという。

声をかけようとしたが、2人はタクシーに乗って消えてしまった。

『それで今日、何も知らないふりをして、唐澤が寝たのを待って……また携帯を見たんです』

『それで……』

『そこには、いろんな女性からのメールが入っていました』

貴美ちゃんの指が、膝の上で小さく震えた。

『その中に和子さんからのメールもあったんです』

『和ちゃんから?』

『はい。お金を返してほしいって……。表参道の部屋はどうしたのか、結婚の約束はどうなったのかって……』

私は思わず息を呑んだ。

『それだけじゃありません。由美さんという女性からも何度もメールが来ていて……』

『由美ちゃん……』

『美月ママに相談したって書いてありました』

『ええ。由美ちゃんから相談されたのは本当よ』

私はそこで、今までのことをすべて話した。

由美ちゃんが唐澤にお金を貸していたこと。

連絡が取れなくなったこと。

そして唐澤が店に来た時、私が本人に問いただしたこと。

『それで……唐澤さんは?』

『結婚するつもりはないって言ったわ』

『……やっぱり』

貴美ちゃんは俯いた。

『私も騙されていたんですね』

『貴美ちゃん……』

『でも、私も悪いんです。和子さんのお客様だって知っていたのに……』

その言葉には、怒りよりも自分自身への悔しさが滲んでいた。

『そんなふうに自分を責めなくていいのよ』

『でも……』

『人を好きになるって、そういうこともあるでしょう。好きになった時には、相手を疑うことなんて考えないものよ』

貴美ちゃんは黙っていた。

そして小さな声で言った。

『実は……私もお金を貸してしまったんです』

『えっ?』

『お父さんの入院費の保証金が必要だって……』

私は言葉を失った。

『いくら?』

『50万円です』

3人目だった。

和子ちゃん。

由美ちゃん。

そして貴美ちゃん。

いったい唐澤という男は、何人の女性と同じようなことを繰り返しているのだろう。

『貴美ちゃん。早く返してもらったほうがいいわ。ここで分かっただけでも3人よ。まだ他にいるかもしれない』

美月はそう言いながらも、心の中では別のことを考えていた。

この子たちは、どうしてこんな男性を信じてしまったのだろう。

けれど、その答えは簡単なものではない。

人は、弱っている時ほど、差し出された優しい言葉を信じたくなる。

そして、その言葉が自分の欲しかったものならなおさらだった。

それから数日後。

貴美ちゃんから電話があった。

『もしもし、貴美です』

『貴美ちゃん、その後どう?』

『そのことで……ちょっと大騒ぎになってしまって』

『大騒ぎって、どうしたの?』

『唐澤に渡したお金、親から借りたものだったんです。それで父に何に使ったのかって問い詰められて……全部話しました』

『それで?』

『父が怒ってしまって……母と私と三人で唐澤のところへ行ったんです』

『ええっ、お父さんが?』

『はい』

私は驚いた。

『それでどうなったの?』

『唐澤は意外なくらい神妙な態度で、お金は返すって約束しました』

『そう……』

『父が、返さないなら訴えるって言ったからかもしれません』

貴美ちゃんは少し笑った。

『それから父が、私とはもう一切会うなって言ったんです』

『お父さん、よほど心配だったのね』

『はい……。私、父があんなに怒ったところを初めて見ました』

少しの沈黙。

そして貴美ちゃんは、静かな声で言った。

『でもね……なんだか、その時初めて分かったんです』

『何が?』

『私、親に愛されていたんだなって』

私は黙って聞いていた。

『唐澤のこと、もうどうでもよくなっちゃいました』

その言葉を聞いて、私は胸を撫で下ろした。

『そう。だったら、もう忘れなさい。貴美ちゃんを本当に心配してくれる人は、ちゃんとそばにいるんだから』

『はい。ママ、ありがとうございました』

電話が切れたあと、私はしばらく受話器を見つめていた。

貴美ちゃんが少しでも笑えるようになったことが嬉しかった。

もう、あんな悲しい顔を見たくはなかった。

結局、和子ちゃんは最後まで唐澤と連絡が取れず、
お金も、結婚という夢も戻ってこなかった。

それでも、和子ちゃんは銀座で働き続けた。

家族を支えるために。

そして由美ちゃんは、その数年後。

店に来ていたお客様との出会いから、新しい人生を歩み始めた。

二人とも再婚だったが、やがて彼女は一流企業の部長夫人となった。

人生とは、本当に分からないものだ。

あの夜、泣きながら私に電話をしてきた女性が、何年か後には別の人生を歩いている。

そして貴美ちゃんは、失ったものよりも大切なものに気づいた。

親の愛情。

それは、どんな高価なものよりも、彼女の心を支えてくれるものだった。

では、唐澤はどうなったのか。

風の便りに聞いた話では、
その後、ある女性との間で大きなトラブルになったという。

それがどんな結末だったのか、詳しいことまでは私には分からない。

ただ、長い人生を生きていると、時々思うことがある。

人にしたことは、いつかどこかで自分に返ってくる。

それは罰という形なのかもしれないし、
ただ人生の巡り合わせなのかもしれない。

けれど、誰かの心を傷つけたまま、ずっと何事もなく生きていけるほど、人生は甘くないのかもしれない。

あの夏。

三人の女性は、それぞれ違うものを失った。

お金を失った人。

恋を失った人。

未来への夢を失った人。

けれど、その夏を越えた先で、
それぞれがまた自分の人生を歩き始めていた。

そして、銀座の街にも少しずつ秋の気配が近づいていた。

夏に起きた、奇妙な物語。

それは、夏の終わりとともに、静かに幕を閉じた。
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