【連載小説】第57話 銀座への手相

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時として、
人生は思いがけない方向へ動き出す。

その夜も、そんな夜だった。

一美さんには、田山という太い客がいた。

地元では知らない人がいないほど有名なタクシー会社の社長。

金払いも良く、
店でも特別扱いされる存在だった。

美月も何度か席についたことはあったが、
“あくまで一美さんのお客様”。

そう分かっていたから、
自分から名刺を渡したことは一度もなかった。

その日、田山は珍しく一人で来店した。

そして突然、

『今日は美月ちゃん』

そう言って、美月を指名した。

しかも——

一美さんを外して。

店の空気が、一瞬で変わった。

美月は背筋が冷たくなった。

これはまずい。

女の勘で分かった。

『失礼します』

席につくと、田山は上機嫌だった。

『やっとゆっくり話せるな』

『ありがとうございます。でも私、本当に驚いて……』

『何に驚く?』

『一美さんが……』

田山は鼻で笑った。

『もう愛想が尽きたんだよ』

『……』

『腹が立つことばかりされてな。少し懲らしめたくなったって訳さ』

美月は返事に困った。

こんな話、聞きたくなかった。

けれど客商売に“知らないふり”はつきものだった。

その夜、美月は笑った。

場を盛り上げた。

いつものように。

ただ——

背中に刺さる視線だけは痛いほど感じていた。

閉店後。

更衣室へ呼び出された。

待っていたのは奈々ママと一美さんだった。

空気が張りつめていた。

『あんた、田山さんと何かあったの?』

一美さんの声は怒りで震えていた。

『まあまあ、一美』

奈々ママは冷静な顔をしていた。

だがその目は笑っていなかった。

『美月ちゃん。どうして今日、あなたが指名されたのか説明してくれる?』

『私にも分かりません』

『そんな訳ないでしょ!』

一美さんが怒鳴った。

『あの人、私を援助してくれてたのよ!』

美月の中で何かが切れた。

『それなら田山さん本人に聞けばいいじゃないですか!』

更衣室に声が響いた。

『今日、田山さんは言ってました。一美さんには愛想が尽きたって』

『……!』

『私に当たらないでください!』

その瞬間だった。

『何やってるんだ!』

店長が飛び込んできた。

空気が止まる。

奈々ママは表情を消した。

『……帰るわよ、一美』

二人は吐き捨てるように更衣室を出ていった。

『大丈夫か』

店長がため息をついた。

『田山さん、前にも同じような揉め事起こしてるんだ』

『もう嫌です……』

『気にするな。お前が悪い訳じゃない』

そう言われても、
心は全然晴れなかった。

気づけば、美月はバークレーへ向かっていた。

誰にも会いたくない夜だった。

けれど、
ママには会いたかった。

『あら、美月ちゃん』

ママはすべて分かっていたような顔で微笑んだ。

『顔に書いてあるわよ』

その言葉を聞いた瞬間、
張りつめていたものが一気に崩れた。

『もう嫌なの……』

美月は、その夜の出来事を全部話した。

ママは黙って聞いていた。

『この仕事してたら、よくある話よ』

静かな声だった。

『でも奈々ママは駄目ね。チーママなら女の子同士の潤滑油にならなきゃ』

『最近、お店がおかしいんです』

『焦ってるのよ』

『焦ってる?』

『店を売る話が出てる』

美月は息をのんだ。

『……本当?』

『まだ噂。でも麗子ママ、不動産屋へ頻繁に行ってるらしいわ』

全部が繋がった気がした。

店の空気。

女たちの苛立ち。

売上への執着。

みんな、
居場所を失う不安だったのだ。

『おかあさん』

美月はふと右手を差し出した。

『久しぶりに手相見て』

ママは黙って掌を見つめた。

そして——

表情が変わった。

『……すごい』

『え?』

『四直紋』

聞いたこともない言葉だった。

『親指以外の指に、縦線が四本出てる』

ママは真剣だった。

『これ、人の持つ運を全部持ってる相なの』

『全部……?』

『ただし条件がある』

ママは美月を見た。

『人のために生きられる人だけ』

静かな店内に、グラスの音だけが響いた。

『美月ちゃん』

ママがゆっくり言った。

『思いきって銀座へ行く?』

その瞬間——

美月の中で、
何かが動き始めた。
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