【連載小説】第49話 崩れた代償
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それから数日後の土曜日。
川上は、義父から呼び出された。
高い塀に囲まれた屋敷。
門の奥に広がる、静かな庭。
その静けさが、
かえって重かった。
通された客間。
そこには、義父である会長が座っていた。
『座りたまえ』
短い一言。
逃げ場は、なかった。
『景子がな——』
その名前だけで、胸がざわつく。
『別れたいそうだ』
言葉は、あまりにも簡単だった。
『もう一緒には住めないと』
『……』
何も言えなかった。
『君のことは調べさせてもらった』
その一言で、すべてが終わった。
『飲み屋通い』
『こずえという女』
『もう噂になっている』
逃げ場は、どこにもなかった。
『浮気はな、男の甲斐性だ』
意外な言葉だった。
『だが——』
会長の目が、鋭くなる。
『女房ひとり守れない男に、会社は任せられん』
その言葉が、すべてだった。
『取締役会で辞意を表明してくれ』
『……待ってください』
ようやく出た言葉は、弱かった。
『ただの浮気です』
『そんなことで——』
『黙れ!』
空気が震えた。
『原因を作ったのは君だ』
『辞任か、解任か』
『よく考えなさい』
それだけ言って、会長は立ち上がった。
残されたのは、
取り返しのつかない現実だった。
(……終わった)
その一言が、頭の中で繰り返される。
その夜。
電話が鳴った。
『もしもし?』
こずえの声。
いつもと同じはずなのに、
遠く感じた。
『あの物件の話なんだけど——』
『……無理だ』
それだけだった。
『え?』
『会社、辞めることになった』
沈黙。
『だから、もう会えない』
その言葉は、
逃げるようだった。
『ちょっと待ってよ!』
『手付けを払ってるのよ!』
『どうしてくれるの!』
もう、何も守るものはなかった。
『俺をあてにするな』
そう言って電話を置いた。
その瞬間、
すべてが終わった。
こずえは、崩れ落ちた。
計算は、外れた。
思い通りになるはずだった未来は、
どこにもなかった。
——その後。
川上は会社を去り、
家庭も失った。
行き先は、東京。
誰にも知られず、消えるように。
こずえもまた、
夢を手放した。
帰る場所は、実家しかなかった。
残ったのは——
何もなかった。