ついに——
美涙から電話が来た。
美月は、迷うことなく駅前の喫茶店へ向かった。
店の奥。
背中を丸め、うつむいたまま動かない姿。
それが、美涙だった。
『美涙さん……』
その名前を呼んだ瞬間、
胸の奥が締めつけられた。
『大丈夫?本当に……無事でよかった』
言葉にした途端、
自分の方が涙ぐんでいた。
『ごめんね……私……』
その声は、
別人のように弱々しかった。
『何があったの?』
『……結城のせい?』
一瞬、空気が止まる。
『その名前……もう聞きたくない』
吐き出すような声だった。
『あいつ、とんでもない男だったの』
静かに、
そして少しずつ崩れるように話し始める。
『運命の人だなんて……思ったのが間違いだった』
その言葉に、
胸が痛んだ。
『いい店があるって言われて……』
『気づいたら……逃げられなくなりそうだった』
『売られるっていうのは大げさかもしれないけど……』
『勝手に前借りされてたの』
『え……?』
思わず言葉を失う。
『私の知らないところで……』
その一言で、すべてが分かった。
『それで……逃げてきたの』
美涙は、ゆっくり顔を上げた。
その目には、
悔しさと、ほんの少しの安堵が混ざっていた。
『よかった……本当によかった』
心の底から、そう思った。
『実はね……』
美月は、少しだけ迷ってから口を開いた。
『結城さんのこと、店長から聞いたの』
過去の話。
同じように騙された女の人のこと。
『もっと早く気づいてたら……』
言いかけて、やめた。
『ううん』
美涙は首を振った。
『これは、私の問題』
その言葉は、
静かで、強かった。
『今日は、うちに来て』
『一人にしたくない』
『……うん』
美涙は、小さくうなずいた。
立ち上がるその姿は、
まだ頼りなかった。
夜の街を歩きながら、
美月はずっと考えていた。
——もし、あの男が追ってきたら。
——もし、また何か起きたら。
不安は消えなかった。
それでも、
今はただ隣にいることしかできなかった。
翌日。
『店長、少しお時間いいですか』
事情を話すと、
店長の表情が変わった。
『……そうか。無事だったか』
その一言に、
ほんの少しだけ安心が混ざる。
『今夜、俺も行く』
『話を聞こう』
短い言葉だったが、
それだけで十分だった。
——そして、その頃。
美月の中で、
もうひとつの変化が始まっていた。
小料理屋で出会った、ひとりの男性。
高坂。
今まで出会ったことのない空気を持った人。
一緒にいると、
自然と前を向けるような気がした。
それは——
ほんの小さな変化だった。
けれど、確かに。
美月の中で、何かが動き始めていた。
この出会いが、
長い時間をともにすることになるなんて——
その時は、まだ知るはずもなかった。