こんにちわ。
ゴールデンウィーク中盤、みなさま、いかがおすごしでしょうか。
今日は、
感謝をすると、幸福が近づいてくる、の話をしようと思います。
そう聞くと、ちょっと偽善のように感じてしまうかもしれませんね。
私も、そう感じる時があります。
ただ、感謝というのは、無理やりすることではないのだと思います。
幸運を引き寄せるためのテクニックというより、
傷ついて閉じてしまった自分が、もう一度この世界とつながるための、
ほんとうに小さな入口。
私は、そんなふうに感じることがあります。
いろいろ手をつくして、あちこちでじたばたして、
人に助けを求めもした。
けれども、もうほんとうに打つ手がない。
そんな状況になった時に、自分にやれることが、
ありがとうと布団でつぶやくことくらいになった。
そんなことが、私にも何回かありました。
震災の時もそうでした。
ただ、経験上、これはやってみる価値がある。
ほんとうに。
でも、もしあなたがいま、深く傷ついていたり、疲れきっていて、
誰かに感謝する気にもなれない。
そういうのなら、しなくてもいいです。
無理に感謝しようとすると、かえって苦しくなることがあります。
「感謝しなければいけない」
「前向きにならなければいけない」
「許さなければいけない」
そうやって、自分をさらに追い込んでしまうこともあります。
だから、まずは感謝ではなく、呼吸からでいいのだと思います。
朝起きたら、深く呼吸をしてください。
深呼吸みたいな感じで大丈夫です。
できれば、吸うことではなくて、
吐くことに集中してみてください。
そうして、1日を過ごしてみてください。
最初は何も変わらないでしょう。
でも、次の日も、起きたら、深く呼吸をすること。
それだけは、やってみてください。
続けていくなかで、まだ誰にも感謝したくないという場合は、
日中に瞑想を取り入れてみてください。
最初は1分でもいいのです。
ただ座って、呼吸を続ける。
それだけです。
すでに、布団の中で深く呼吸をしているので、
瞑想の下地はできています。
瞑想のノウハウの本を買ったりしなくても大丈夫です。
私の師は、
瞑想は、瞑想それ自体がやり方を教えてくれる。
そう言っていました。
おそらく、身体・身体感覚というものは、
自分が考えている以上に賢いものです。
引き寄せやヒーリングが、うまく届かないように感じる時。
それは、心が拒んでいるというより、
身体そのものが、まだ受け入れる準備に入っていない場合もあるのだと思います。
呼吸と瞑想によって、身体感覚が、
微細なものを感じ取れる身体へ少しずつひらかれていく。
ヨガをやっている人は、
サトルボディ、という言葉を聞いたことがあるかもしれませんね。
このことは、私が不安や絶望に押しつぶされそうになっていた時に、
実際にやっていたことです。
おそらくは、誰かに感謝する以前に、
自分自身が回復する必要がある。
ここが、とても大事なのだと思います。
それでも、あなたの中にはまだ、
不安や絶望や怒りがあるかもしれません。
それは、私にもわかる。。
怒りや不安は、ほんとうに、しつこいものです。
特に、感じ取りやすい体質の場合は、
まずは回復すること。
これが大事なのです。
感じ取りやすい人は、人の言葉や、場の空気や、
相手の沈黙まで受け取ってしまうことがあります。
だから、疲れる。
だから、傷つく。
だから、誰かに感謝するどころではなくなることもある。
でも、それはただ弱いということではないのだと思います。
仏教の菩薩様、というのは、悟りを開いたものではなく。
(悟っているのは如来さま、だそう)
最も傷つきやすく、最も感じやすい者のことをいうそうです。
菩薩にとって、感じやすくしていることは世界と自身を繋げるための
チャンネル、なのです。
人の言葉に傷つくこと。
場の空気を受け取りすぎること。
不安や怒りが、なかなか消えないこと。
それはしんどいことですが、
同時に、世界に深く触れている、ということでもあります。
だからこそ、まずは回復すること。
無理に感謝しなくてもいいです。
無理に許さなくてもいいです。
無理に前向きにならなくてもいいです。
ただ、朝起きたら、息を吐く。
今日も、息ができたことだけを確認する。
それでも少し余裕が出てきたら、
お天道様に、ありがとう。
そう、つぶやいてみる。
声に出すことがはずかしいのなら、
こころのなかでも大丈夫です。
感謝は、幸福を無理やり動かすためのものではないのだと思います。
でも、感謝には、
不思議と、幸福が入ってくる入口をひらく力があります。
ありがとう、と言えた瞬間に、
すべてが劇的に変わるわけではないかもしれません。
けれど、その言葉によって、
自分の呼吸が少しだけ深くなる。
目の前の光や、今日の空や、
まだ残っている小さなぬくもりに気づけるようになる。
そういう小さな変化が、
やがて、魔法のような流れを受け取るための隙間になるのだと思います。
だから、感謝は立派な人になるためのものではなく、
傷ついた自分が、もう一度この世界とつながるための、
ほんとうに小さな入口なのかもしれません。
そおしてその入口から、
思いがけないやさしさや、
小さな偶然や、
ふっと心が軽くなるような出来事が、
少しずつ入ってくることがあります。
私は、それをひとつの魔法と呼んでもいいのではないかと思っています。