読み切り超短編小説「HIASOBI」

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「…お待たせ。」
「先生… !」
「…久しぶり!」
「…でも、どうして?」


2ケ月前
教育実習生 森七菜の数学の授業は面白かった。実際には森七菜という名前ではなく、森七菜に似ているのでボクが勝手に森七菜と呼んでいるだけなのだが。

「昔、アキレスという名の恐ろしく俊足の人と、かわいそうなほどに足の遅い亀がいました。二人はある対決をすることになりました。
アキレスが90メートル先にいる亀と徒競走をするというものです。ルールはシンプルであり、アキレスが亀を追い越したら、アキレスの勝ち。亀がアキレスに追い越されなければ、亀の勝ちです。

時間制限や、距離の制限などはなく、アキレスが亀を追い抜きさえすればアキレスの勝ちです。当然、誰もがアキレスが勝つと思っていました。アキレスも「お前なんかすぐ追い抜いてやるよ!」と自信満々でスタートをきりますが、不思議なことに追いつけないのです。

なぜか。アキレスが90メートル先の亀のいるところにたどり着くころに、亀はのろのろとではありますが、少しは進んでいるのです。例えば9メートルとか。今度はアキレスは9メートル先の亀を追いかけることになりますが、9メートル先の亀のいたところに着く頃には、亀はそれより0.9メートル先にいます。また、その0.9メートル先の亀の位置にたどり着いたときには、亀は0.09メートル前に進んでいます。

これの繰り返しで、アキレスは亀のもといた位置まで行くことはできても、のろのろと、でも確実に前に進んでいる亀に追いつくことはできないのです。
どうしてでしょうか。」

普通に考えれば絶対追いつけるはずだが、証明となると難しい。
みんながあれこれと意見を述べた。
ボクも手を挙げた。
「その亀には特殊能力があって、アキレスは呪いをかけられたため追い越せなかった…というのはどうでしょう。」
… 教室が静まり返った。(言わなきゃ良かった…)

学級委員が答えた。
「アキレスが亀に追いつくのに進む距離Xは、
X = 90+9+0.9+0.09+0.009+0.0009,…=99.99999…(メートル)
となり、99.999999…メートル地点で追いつきます。これは等比数列の和であり、この足し算を無限回行うという無限等比級数の概念を用いると以下のようになります。
X =limn→∞∑i=1n9010n−1=100

よってXは100に収束することになるので、100メートルの地点において、アキレスは亀に追いつくという計算になります。また、追いつく時刻Tについては、アキレスが90メートルを9秒で進むと考えると、
T = 9+0.9+0.09+0.009+0.0009+0.00009,…=9.99999…(秒)
ということになります。これもまた、無限等比級数であり、
T = limn→∞∑i=1n910n−1=10

となるので、スタートから10秒後に追いつく計算です。
よって、亀とアキレスの追いつき合戦が無限回行われた後、アキレスが100メートル、10秒走った瞬間に両者は並び、つぎの瞬間に追い越すので、アキレスの勝ちというわけです。

数学的な考え方で行くと、アキレスと亀の追いつき合戦は無限スッテプ行われるけれど、それにかかる時間と距離は有限であるから、追いつくことができるということになります。そして、それは無限ステップ目で追いつくのです。」
… 教室が静まり返った。

「カラン コロン」

森七菜の最後の授業が終わった。
ボクは職員室に向かう森七菜を追いかけて声をかけた。
「先生、…よかったらライブ一緒に行ってください。」
そう言ってチケットを無理やり握らせ、逃げるように教室に帰った。


2ヶ月後
東京 武道館 男女2人組ユニットHIASOBI のライブ会場
ボクは森七菜に渡したチケットにメモ書きした待ち合わせ場所で待っていた。
開場まであと10分、もしかしたら来ないかも…

「…お待たせ。」
「先生… !」
「…久しぶり!」
「…でも、どうして?」
ボクは中村倫也に似た、2ヶ月前に森七菜と一緒に来た教育実習生を見つめた。
「…えーと何から話していいのか…いいニュースと悪いニュースがあるけど、どちらから…」
中村倫也がそう言うとボクは元気のない口調で答えた。

「悪い方からどうぞ。」

「実は彼女は3日前の大学の体育の授業でソフトボールをやっていたんだけどそこでケガをしてしまった。 彼女はサードゴロを打って1塁へ全力疾走したんだけど、サードからの送球がそれて1塁手と彼女がぶつかりそうになった。彼女は危ないと思って急に止まろうとして、バランスを崩して転倒した。何か破裂したような音とともに左足に激痛が走り救急車で病院に運ばれた。
アキレス腱断裂… という訳で彼女はきょう来られなくなった。 君は携帯の番号も伝えずにチケットだけ彼女に渡して行ってしまったので彼女も連絡する術がなく、ボクに連絡が来て代わりにライブに行ってほしいと…」

頭の中をある言葉がよぎった。 (…アキレスの呪い…)

「で、いいニュースは?」

「彼女は、きょうのライブをとても楽しみにしていた。彼女にはカレシはいない。もちろんボクもカレシではない。」
(もしかしたら呪いが解けるかも…)

「そこで君に提案がある。
プランA: このままボクと一緒にライブを見る。
プランB: ここに彼女の入院先の…」と言ってメモをボクに見せようとした。
「B!」ボクは食い気味に即答すると「先生、悪いけどライブは一人で見てくれない、もし今からでも間に合うなら誰か…」と言って自分のチケットを中村倫也に渡し、入院先の書いてあるメモを奪い取った。

急げば今からでも面会時間に間に合いそうだ。
ボクはアキレスのような速さで夜に駆け出して行った。
未遂に終わりそうだったボクの火遊びはかろうじて線香花火1本位の可能性が残った。

ボクが駆け出した後、木の陰から女性が現れた。
「…先生、予定通りだね。」
「あーあ、すべて君の予想通りの展開になった。」
中村倫也が学級委員にそう言うと、二人はライブの入り口会場に向かった。
まるでその時間を楽しむようにゆっくりゆっくり歩いた。亀のように。

「先生、あの二人、私たちに追いつけるかしら?」
「さあ、どうかな、でも少なくとも相当な健脚の持ち主のようだ。…ところでプランCの提案があるんだけど… 」
「…ん?」
「そろそろ、その先生というの止めにしない。?」
「…だね。」学級委員はそう答えるとニコリと笑った。

西の空でヴィーナス(金星)がキラリと光った。




※この作品はフィクションです。登場する人物団体は全て架空のもので実在するものとは一切関係ありません。
※出典・引用 ゼノンのアキレスと亀を分りやすく解説して考察する | AVILEN AI Trend (ai-trend.jp)  ライター IMIN 様

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