悲しみの投稿を見たとき、私が大切にしていること

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コラム
今朝、SNSを見ていたら、フォローしている方の飼い鳥を亡くしたという投稿が目に入りました。
写真と、思いを綴った言葉たち。
それだけで、胸に何かが広がりました。

私も、同じ場所にいた。

私も過去に飼鳥を見送りました。
その度に感じた、あの感覚。
部屋の空気が変わる感じ。名前を呼んでも返事がない静けさ。
「もっとああすればよかった」という、終わりのない問い。
今でもその葛藤は消えていません。
ただ、少しずつ受け入れながら生きています。
そのなかで見つけたのが、一つの言葉でした。

それだけ、愛していたんだ
後悔の深さは、愛の深さと同じだと。

コメントは、すぐにしない

こういう投稿を見たとき、私はすぐには言葉を返しません。
その日ではなく、少し時間を置いてから。

その間に、その人の気持ちをできるだけ想像します。
どんな夜を過ごしているか。何を感じているか。
そうして言葉を選んで、最後にはいつもこう添えます。

「虹の橋で、うちの子と一緒に飛び回ってるかな」
専門家としてではなく、同じ悲しみを知る一人の人間として。

それでも、言い続ける

ペットの死は、まだ「悲しんでいい喪失」として受け取ってもらえないことがあります。
だから私は、同じことを何度でも書き続けます。
その言葉が、誰かに初めて届く日があるから。

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