“自分を信じる”よりほかにない。なんとももどかしい。

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コラム
他者にあーだこーだ指図していたほうが、気は晴れる(している“つもり”になれる)のかもしれませんね。

だけどそれって。
己はやり切っていないんじゃないの?
だから「私はできています」のアピールが第三者に必要になるんだろ。


自らが信じていないんじゃないの?

「魂の可能性」を。


「これが私の使命(義務)なんです!」と前置きすれば「己のすべては善行になる」みたいな自分に都合の良いスピリチュアルを掲げている人もいますよね。だから「因果応報」なんだろうな。と。考える今日この頃です。
2024/11/12
https://coconala.com/blogs/2997019/494568

結果は結果なのです。
それが“己にとって”都合が良いか・悪いかはその次なのです。
だって。
善かれと思ってやったことが、相手にお節介になることだってあるのです。
逆にちょっとした意地悪が、相手にとって好機になることだってあるのです。

だから。
別問題とまでは言いませんが。
やっぱりそれは。
己の行為(なぜそれをしたのか=本当には何を思っていたのか)の結果なのではなかろうか。と思うのです。
・・・


「あの時(過去に)、頑張ったことを褒めて/認めてもらえなかった」みたいな。その辺ですかね。だから“今にある”訳じゃないんですよね。どっかで「幻を見ている」ことにもなるんでしょうけど。
2025/01/21
https://coconala.com/blogs/2997019/521020

残念ですが。
それは相手には「お節介」だったのだろうと思います。
それは「相手のためにはならなかったんだ」と言う己の“何か”を素直に認めることが「誰かのため」なのかもしれませんね。
2025/01/26
https://coconala.com/blogs/2997019/522497

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