私は私で、貴方は貴方です。でも、私は貴方で、貴方は私です。
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コラム
「己のすべてに責任を負う」のと、
「宇宙がすべて決めてくれるんだわ!」みたいなものは違うのです。
主体性です。
主体性(しゅたいせい) とは?
自分の意志・判断で行動しようとする態度。「—のない人」「—をもって仕事に取り組む」
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主体(しゅたい) とは?
1 自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりするもの。「動作の—」⇔客体。
2 物事を構成するうえで中心となっているもの。「食事療法を—に種々の治療を行う」「市民—の祭典」
3 《語源の(ギリシャ)hypokeimenōnは、根底にあるもの、基体の意》哲学で、他に作用などを及ぼす当のもの。認識論では主観と同義。個人的、実践的、歴史的、社会的、身体的な自我の働きが強調される場合、この主体という言葉が用いられる。→主観
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なんでかってまだまだ続くからです。
それは永遠にふれるのです。
そこには“答え(正しい正解)”はないかもしれません。
あるのは、己です。
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私は私で、貴方は貴方です。
でも、私は貴方で、貴方は私です。
ツインレイー貴方は貴方、私は私。
https://coconala.com/blogs/2997019/241466
どうして、貴方は私だけの貴方でいてくれなかったのか。と。
わがままを言いたい気持ちが湧いてくるのです。
今さら、と言ったら、そうかもしれません。
そして、そもそも魂はそうだったはずです。
魂はひとつで、2つに分かれて学ぶことを選んだ。
私はそれを知りました。
知っている。
わかっている。
それで私に説明は付かないのです。
貴方は貴方なのです。
貴方の人生は貴方のものなのです。
私は私で、私の人生は私のものなのです。
でも納得できない。
貴方だけの私でいたいと思うほどに、貴方を私だけのものにしたくなるのです。
・・・
今すぐにでもどうしても答えが欲しかった。
https://coconala.com/blogs/2997019/271215
時の流れには逆らえないゆえに、早く手にしなければならないのだろうと感じていた。
現実にはそうあることもあった。
遅れを取って誰かに、追い抜かれるようなことになるのかと。
現実ではそう言うこともあった。
でも、それは他人と取り合っているのではないのです。
私は私。
貴方は貴方。
貴方は私。
私は貴方。
私と貴方の間にある。
私と貴方の間にだけ。
私たちのものとして。
だから流れる時間とは関係ないのかもしれません。
時間の経過で、タイミングを失うものではないのかもしれません。
手に入れるために「こうあらねばならない」と、
「自らを理想で潰してしまう」ものではなく。
それはちゃんと私のもの。