「男女」を「陰陽」で表すことが、何かのすり替えに

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学び
繋がっているのだろうか?


わかりませんが、昨日の話、

の視点から「光と闇」「ポジティブとネガティブ」と言うくくりを取っ払うと、どちらかが「陽」で、どちらかが「陰」である。と言う話も無意味になります。

「光も闇もいらない=光でも闇でもある」

と、なるので。

男は陰であり陽である。光でも闇でもある。
女は陰であり陽である。光でも闇でもある。

だから、どちらかが陰の役割で、どちらかが陽の役割である。
と言う話は必要なくなります。


そもそも「男」と「女」と言うだけで違うのです。

身体的な特徴の差もあります。
あ、男女差別とか、男女平等とか言う話は置いておきます。


じゃぁ、なぜ男女を「陰陽」で表すのか?


もちろん、何かを例えとして使うことはあります。
何かを発展させて行ったり、よりよく理解できるようになるからです。

でも、この場合、もしかして何かをすり替えてきたのでしょうか?


男らしく、
女らしく、
この物言いそのものは正しくないかもしれません。

でも、じゃぁ、
陰として、
陽として、
と言う物言いも、同じように何かを表すには足りないのかもしれません。


男としてできること。
女としてできること。

何かのために。
自分のために。


***

貴方は私です。
私は貴方です。
貴方は貴方で。
私は私です。

貴方は男で。
私は女です。

話はそれだけのような気もします。

だって、「男」と「女」と言うだけで違うのです。


うーん(゜゜)……。

私は、難しい話が理解できていないだけかもしれませんね(笑)
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