太陽の光の下でぬくぬくしたいです。
趣味でいろいろしたいです。
美味しい物も食べたいです。
知らない場所に行って、写真も撮りたいです。
眠ければ眠ります(仕事中は起きます……)。
残念ですが、神様は見えませんし、声も聞こえません。
存在を否定する訳じゃありません。
それは確かに、あるのです。
私は、目の前の現実も楽しみたいのです。
だって、行いは習慣からなされるのです。
自分が自分であると言えるのは、それでも生きてきた過去があるからです。
全部が思い通りだった訳じゃありません。
やりたくないことだってあります。
やりたくないからと言って、しなくていいことにならないこともあります。
祖母は「陰日向なく働きなさい。お天道様が見ていますよ」と言いました。
それを聞いた伯母は「曇りの日は? 夜は?」と鋭いツッコミを入れました。
祖母は「雲も月も星も見ている」と返したそうです。(笑)
もちろん、会話を楽しむのは別です。
思考を楽しむことだってできます。
想像ではどこへだって行けます。それも面白いのです。
行いに至る前の、心構えや、理論だって必要なこともあります。
何かを心の支えにするのだっていいのです。
ただ、口ではどれだけいいことを言っても、やっぱり、現実生活では行動が評価されるのです。
自分で言ったことが守れるか。
嘘を付いてはいないか。と。
間違えるなとは言いません。間違えることだってあります。
問題はそのあとにあるのです。
まぁ、そもそもそれが成功か失敗かも人によって変わるかもしれません。
でも、何かを認められず、
「私が間違えた訳じゃない」
と言うよりは、
「失敗を糧に生きてきた」と言う方が健全かもしれませんね。
表現って、面白いですね。
ただ、何かを説得させたいのなら、
机上の空論で終わらせないためには、
理屈だけでも、実際だけでも駄目なようです。
どちらかが欠けていると、どうにも説得力がないな。と感じてしまいます。
言葉が丁寧なだけでは信じてもらえないこともあります。
言葉が無くても、信じていきたいこともあります。
それだけの話かもしれませんね。
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私たちは魂から来ているようです。
私にはそれは見えません。
でも、肉体は見えます。
物もさわれます。
そこに現れていけます。
だったら、最終的に行動に移したほうが、お得なのかもしれません。
だって、それは魂ではできないからです。