私は2021年の12月の私がうらやましいのです。

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の続きとなります。




12月の私は、ツインレイを知らないor関係ないと思っている最後の私でした。

私は12月の私がうらやましいのです。

だって、その時だって私は十分に幸せでした。
その時得た、ちいさな欠片のようなそれと、これまでの人生を引き換えてもいいと思っていました。
それほどに幸せでした。

だからその欠片がなんだか大きくなっていくことに納得がいかなかったのです。
その小さい欠片を取り上げられて、こっちのほうが幸せだよ。ともっと大きな幸せを手渡されて、それに喜びなさい。と言われている気分でした。


ここに書いた夢の話です。
私は自分で続きを想像することになりました。
勝手に結末を都合のいいように変えてしまうような気分で嫌だったのですが、そもそもはすべて私から生まれているのです。
だから、いいのかな。とも思いました。
一度はそれでいいと思ったんです。それも私から生まれている、と。
だけどそれでは済まされない何かがありました。
私はどこかで、自分を区切っていました。

<~2021年の12月>と<2022年1月~>

ここには、私の中で隔たりがありました。

<ツインレイを自覚していない>と<ツインレイを自覚している>

まるで別人のようだと思っていました。
なんだか自分を認められないのです。
だから、その小さい欠片のことをずっと考えていました。
それが大きくなることは、悪くはないのです。
そっちのほうが幸せなのです。
でも、なんだかツインレイを知る前の私がうらやましかったのです。
そこに繋がってしまうのです。


今の私は渡された台本を演じている駒のようだな。とすら思います。
もちろん、今を否定したい訳じゃありません。
今もとても幸せなのです。
ただ、ツインレイを知る前に得た、小さい欠片を取り上げられたような気分になることが辛かった。

ずっと考えて来ました。
どうしても泣いてしまうのです。

実は一度お別れになったのです。
その時はお別れが必要だと思いました。
でも帰ってきました。
とてもうれしい。

しかし、私は自分を区切っていました。
「1」か「0」か。みたいになっていました。
だから繋げられなかったのです。

違いました。

<ツインレイを自覚していない>と<ツインレイを自覚している>
どっちも私なのです。
それはここにも一度書いています。
「ツインレイ」に進むと決める前と後では、私は別人のようでした。
でも、私が、私に還ると決めた時、その「最後のひと月の私」が帰ってきました。
おかえり。
でも、ここに示唆した事柄とちょっと違ったんです。


その欠片が、これほどに大きくなるなんて、私は想像もしていませんでした。
私が、その欠片をこんなにも成長させていけるなんて。
たぶん、納得がいっていなかったのはそこだったのです。

私は2022年の6月に作って7月に更新を止めたHPにこう綴りました。

―私の恋心がー…こんなに大きくなるなんて―


「それも、私の成長である」なんて認められなかった。


私はネタバレは嫌いなのです。
それはずっと時々ブログに書いています。
未来はわからなくていいのです。
私は今を楽しむのです。

でもだからこそ、想定を超えた来たものが自分の物だなんて思ってなかったのです。
それを受け取っていいなんて。
思いもしていないのです。


でも、今日、思いました。
あの日の欠片が、大きくなったのだろう。と。
それは誰かにこれを楽しめと渡されたものではない。
私が、望み続けたものなのだろう。

ずっと、続いて欲しい。と。
だから、ずっと傍にいて、続いているんだ。
これからも。


私は12月の私がうらやましいままです。
それは仕方ないのです。
あの日の私は私だからです。

でも、小さい欠片は自分で成長させてきたのです。
誰かに取り換えさせられたものではないんだ。
それも私なんだ。
自らが創り上げたそれを私のものとして受け取っていい。
それも、私の成長として。

まるで最初と違う形になってしまったようで受け入れられなかった。
なんだか作為的に作り上げたもののようで嫌だった。
でも、それが、私の成長なのだ。

それも、「私の望みなのだ」と。


私は今、改めてそれを知ってうれしいのです。
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