だって、その時だって私は十分に幸せでした。
その時得た、ちいさな欠片のようなそれと、これまでの人生を引き換えてもいいと思っていました。
それほどに幸せでした。
だからその欠片がなんだか大きくなっていくことに納得がいかなかったのです。
その小さい欠片を取り上げられて、こっちのほうが幸せだよ。ともっと大きな幸せを手渡されて、それに喜びなさい。と言われている気分でした。
ここに書いた夢の話です。
だけどそれでは済まされない何かがありました。
私はどこかで、自分を区切っていました。
<~2021年の12月>と<2022年1月~>
ここには、私の中で隔たりがありました。
<ツインレイを自覚していない>と<ツインレイを自覚している>
まるで別人のようだと思っていました。
なんだか自分を認められないのです。
だから、その小さい欠片のことをずっと考えていました。
それが大きくなることは、悪くはないのです。
そっちのほうが幸せなのです。
でも、なんだかツインレイを知る前の私がうらやましかったのです。
そこに繋がってしまうのです。
今の私は渡された台本を演じている駒のようだな。とすら思います。
もちろん、今を否定したい訳じゃありません。
今もとても幸せなのです。
ただ、ツインレイを知る前に得た、小さい欠片を取り上げられたような気分になることが辛かった。
ずっと考えて来ました。
どうしても泣いてしまうのです。
実は一度お別れになったのです。
その時はお別れが必要だと思いました。
でも帰ってきました。
とてもうれしい。
違いました。
<ツインレイを自覚していない>と<ツインレイを自覚している>
どっちも私なのです。
「それも、私の成長である」なんて認められなかった。
私はネタバレは嫌いなのです。
それはずっと時々ブログに書いています。
未来はわからなくていいのです。
私は今を楽しむのです。
でもだからこそ、想定を超えた来たものが自分の物だなんて思ってなかったのです。
それを受け取っていいなんて。
思いもしていないのです。
でも、今日、思いました。
あの日の欠片が、大きくなったのだろう。と。
それは誰かにこれを楽しめと渡されたものではない。
私が、望み続けたものなのだろう。
ずっと、続いて欲しい。と。