2022年3月の私の日々

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個人的な話になりますが、3月は私が一年で一番好きな月です。
基本的にるんるんです。
旅行にまで行ってしまいました。

ついでのように「大人でピンクな事を忌み嫌う自分」と対峙しました。
……。
詳細は述べませんが、最終的に負けました。
それも私なのです。
しかたありません。
いいのです。それを嫌う自分がいるのは事実なのです。
泣きました。

そのあとでしょうか。
最初に産んだ動物2体に名前を付けました。
なんだかずっと、そこにいる感じなのです。
これはもうイメージです。
この2体は兄弟かと思ったら番いだったようなのです。
……おや?
そうなると話は変わります。
私はこの2体のための天使を生み出さなくては、と思いました。
と、言う事でまた別の動物を2体産みました。
なぜだかそこで終わらず、その後また別の動物を4体産みました。
動物がここで8体です。
種類は3種類です。「番いの鳥、番いの魚、番いの兎が2組」です。
この6体は同じ日に産んでいます。
日付まではもう覚えていません。

あ、まぁイメージです。
付いてこられない人はそれでいいです。
理屈で述べる話ではないのです。
私の感情で話は進むのです。

この8体は私の夢の中にまだいます。
元気です。
夢として出てきたのは4月ですね(これはまた後述します)。
でも、私はこの動物たちの元気な姿を想像できるのです。

私は、
・夢で見ることを、「自由」
・都合よく想像することを、「不自由」
とし、この辺に葛藤がありました。まぁ、もうどっちも私でいいだろう。
私が私を夢見るのだからいいだろうと、いちおうの見解は得ました。
その話はまだ終わっていないのです。でも、それを終わらせてはいけないのです。
それが、はじまりだからです。
忘れられるものではありません。
これ以上は述べません。

そして、別の日だったと思います。
最後に子どもを産みました。9体目です。
これは人です。
出てきたその子はこっちを見てにっこり笑って、星空に向かっていきました。
たぶん、神様の所に行ったのでしょう。
私はそう思いました。

そのあと何かを出したのです。
これがずっと疑問で困っていました。
いうなれば卵のような、何かを産み落とすには半端なものです。
私は何か未熟児でも産んでしまったのだろうか……?
それを放置していたら大変です。

後になって、それはおそらく「胎盤」だろう。と言うことで一応の解決を得ました。


3月はお金の学びの2回目でもありました。
詰まるところ金持ちでした。
好きに飲み食いし、なぜだか私に買って欲しいと現れる物たちを手に入れました。
私は1人しかいないのに、私は死にたいのに、なぜこんなに物ばかり増えるのだ!!! と泣きました。
まぁ諦めました。
それが欲しかったのも本当なのです。
嬉しく思って手に入れたのも本当なのです。
私に必要な物はもたらされる。
それは、受け取っていい物である。
そんな気持ちになりました。

フレームを超える学びでは、「先に進んだがゆえに解消できない問題」が発生していました。
それとはずっと葛藤していました。
誤魔化すように理解することはできます。
現実には、どうにもどうにもできないのです。
気持ちの問題ひとつなのかもしれません。でも、無理なのです。
私はそれにも泣いていました。
それは4月の夢で転機を得、5月~6月に私は想いを受け取り続け(夢=自由、想像=不自由、の制約をなくしました)、最終的に7月で現実を迎えます。
この時産んだ8体の動物たちが、夢で転機をもたらしてくれるのです。


4月に続きます。
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