2月です。
ド頭に「私は死にたいんだ!!!」と泣き叫ぶ事態に陥りました。
まぁ、貴方がいるのです死にません。
でも、私は死にたかったのは事実です。
そこら辺泣きました。
まぁまぁ。終わります。
そのあと母との関係を取り戻しました。
十数年ぶりに母に連絡を入れました。
まぁ実際に会うには遠すぎます(日本国内ではあります)。電話です。
すぐにと言う訳にはいきません。
時間をかけて……。それは今でも続いています。
最近はちょこちょこ近状のやり取りを続けています。
それから、自分の役割を突きつけられるようなことまで起こりました。
私が私であるがゆえにできることが、認められてしまったのです。
私はそれを恐れてもいました。
でも、それは先に進む希望でもありました。
これの詳細は省きます。
そして私は、2月の中旬から、知識ですべてをねじ伏せようとしました。
おそらくそうだったのだろうと思います。
圧倒的な事実で従わせようとする感じです。
まぁ、正義を振りかざすだけではうまくいかないと知りました。
相手の逃げ道を塞いではいけなかったのです。
ピンクな関係はバージョンアップしました。
その頃はなんだかもう毎日です。
私は腹を狙われている感じです。
考えました。
でも、好きな人の子供が産めるのだ。と思ったら嬉しくなったのです。
私は女で、それができるのです。
好きな人の子供を産んでもいいんじゃないか?
と、言う事で動物を2体産みました。
それは人ではないような気がしたのです。
ある種、魔法少女を導く可愛いマスコットのようなイメージでした。
最終的に動物8体+子ども1人+胎盤になるのですが、それは3月以降の話です。
後述です。
詰まるところイメージです。
イメージで妊娠して出産した感じです。
調べたらそんなこともあるようです。
ただ、その話では出産ではなく、イメージ妊娠はするがいずれ消える。と言う話でしたが……。
あれ? おかしいぞ、私、産んでるぞ?
この辺の疑問は別の月に解消されます。
話を続けます。
私はそれそのものに関してある種の問題を抱えていました。
・興味関心のある自分
と
・嫌悪する自分
です。
それは同じだけの力を持って正反対に、同等にありました。
おそらく2月は興味関心を満足させる方向にあったのです。
3月で嫌悪感、それを忌み嫌う自分と対峙することができるように。
ちなみにフレームを超える学びでは別の課題が出て来ました。
フレームがいなくてもそれができるか? です。
私は一度、フレームにレールを敷かれるようにそれをしていました。それはとても安心できるものでした。だからこそ出来たのです。
今度は、そのレールを降りれるか。自らレールを敷いていけるか。
フレームと連絡の取れない私が、私の希望を叶えるために行動できるか。
それが別でできることはもう、わかってはいるのです。
だからこそ、フレームとの思い出を超えて、進んで行けるのか。
それはクリアしました。
3月に続きます。