なぜ英語を勉強した方が良いのか

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皆さん

お疲れ様です。

Masaです :)

今回は私が日常的に何気なく感じている事に触れたいと思います。

私は日本で大学を卒業後、イギリスとアイルランドに10年間滞在し、現地で様々な経験を積ませて頂き、約9年前に帰国致しました。

帰国後は、日本語、非日本語スピーカーの方々それぞれの立場に立って日々言語に携わるサービスを提供して参りました。

そんな中で繰り返し思う事があります。それは、

日本語は英語よりも習得が難しい。

という事です。

少し乱暴な表現かもしれませんが、日本語と英語を共に流暢に話す人間として両言語を比較した場合、非日本語話者が日本語を第二言語として習得する事は、我々が英語を第二言語として習得する事よりも圧倒的にハードルが高いのは事実です。

(単純に日本語のシステムが英語のそれよりも複雑だという事は専門的な話になってしまうので今回は省略します。)

では、非日本語話者にとって日本語の習得の何が難しいのかですが、それは例えば以下の4点です。

1. 日本語を目にする事が無い

我々の人生には英語が溢れています。世代を問わず、生まれてから死ぬまでの間に「ABC」を見ない日本人はいませんし、英単語を一つも知らない方は存在しません。よって、「ABC」を見てぎょっとするなんて事はありえません。

しかし、外国人にとって「あいうえお」は意図的に探しにいかなければ、見かけることすらない存在なんです。

日本から一歩足を踏み出して、ロンドンやパリ、ローマの様な大都市に行き、現地の方々に世界地図を見せて、日本はどこですかと聞いてみて下さい。正確に自信を持って指を刺せる人はいません。これが2022年の現状です。

よって、外国人にとっての日本語学習のスタートラインとは、我々にとっての英語学習のそれと比べて、2、3週遅れのイメージです。

2. レジスター(トンマナ)の幅が広い

英語にもフォーマルに聞こえる単語とカジュアルに聞こえる単語が存在し、彼らは状況に合わせて適切な単語を選んできます。環境に合わせて発音やアクセント、イントネーショに注意を払ったり、抑揚をつけたりすることもあるでしょう。しかし、日本語の様に文の構成(文法や語順)そのものを大幅に変化させる事は言語のシステム上、不可能です。

それに対して、日本語には外国人が教室で学ぶ基礎的なニュートラルな日本語に加え、尊敬語と謙譲語が存在します。私は41歳の男で、自分が先生、夫、父、息子、兄、親友、友達、知人、同僚、先輩、上司、ビジネスパートナー、客、サービス提供者のどの立場で話しているかによって、その毎に、文全体の語彙の選択に気を配り、主語が第一人称か第二三人称かによって動詞を選び、且つ語順も変化させ、更にprefixやsuffixでバランスを再構成し、アウトプットしています。これを日本語ネイティヴは自然に行うんですが、日本語を第二言語として学習する者には非常に難しいチャレンジです。

吾輩は猫である。の英題は、I am a cat.です笑

加えて、尊敬語と謙譲語に関しては、我々はあくまで心がけているだけなので、自信を持って正しく使いこなせていません。

結果的に外国人がコンビニやカフェで聞く大学生の日本語は、教室内で学ぶ日本語とは大幅に異なる上に、正確性を欠いている尊敬語と謙譲語が故に、理解が非常に困難になります。

3. 日本語はカメラの位置が違う

言語とは、第一人称が第二人称に向けて物事や感情を描写をする際に用いられるツールです。

例えば、以下の英文を見て下さい。

I was waiting but he never turned up. 

これを我々は日本語では何と言うでしょうか。恐らく以下でしょう。

待ってたけど結局来なかった。

英語では、話者を含めたその場全体を俯瞰的に見る位置にカメラが存在するため、描写が客観的になります。

それに対し、日本語では話者の目の位置にカメラが存在するため、描写が主観的になります。

(マリオカートのカメラの位置を変更するイメーです!)

日本語を学ぶ外国人は、最初日本人は何故主語を言わないのかと感じ、やがてこの描写方法の違いに気づき、そして徐々に慣れていくと言うプロセスを踏みます。しかし、これは一長一短で乗り越えられる感覚ではありません。

4. 抽象的である

我々の描写が英語スピーカーのそれに比べて常に抽象的であることは間違いありません。

全ての存在には個体差が存在し同じ存在は有り得ません。ましてや人の感情は大変複雑です。また言語には限界があります。よって、言語のみで物事を描写し切る事自体が不可能です。

それ故、何かを単純明快に言い切ることなどは出来るはずがなく、我々は自身の感情を忠実に描写しようとすればする程、抽象的に為らざるを得ないはずです。

よって、我々は正直なんです笑

では、英語スピーカーは嘘つきなのでしょうか。

いえ、そうではありません。

英語スピーカーは複雑な思考を整理し、且つ相手の事を思いやり、意図的に明確に具体的に分かり易く物事を描写しようと努力するんです。

対して、我々は複雑な思考をそのまま表現し、且つ相手の事を思いやり、意図的に漠然と抽象的に物事を描写します。

言語は歴史や文化に起因します。国民性の違いを乗り越える事、日本語学習者にとってはこれもまた大変難しいチャレンジになります。

長々と書いてしまいましたが、要するに私が申し上げたいのは、日本語という言語の複雑性を考慮すると、円滑なコミュニケーションを促進するには、我々が英語を学んだ方が圧倒的に現実的だという事です。

我々にとっては確かに一苦労です。しかし、英語は日本語とは異なり、誰もがいつでも学習をスタート出来るとてもロジカルで学び易い言語ですので、ただAIの発達を待つのではなく、是非一度ご自身で挑戦してみて下さい :)

同時に、我々はこれ程習得が困難な日本語に挑戦し続ける海外出身者に寛容になりましょう。そして、チャンスを与えてあげましょう。彼女、彼達も我々と同様に日本と日本語を愛し、悔しさを乗り越えながら日々一生懸命に頑張っています :)

イギリスとアイルランドは、外国人の私に多くのチャンスを与えてくれました。

是非ご一考下さい :)

Masa
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