私の半生とその後の神経症の関係
私はあくまで、私の過去の半生からの流れで、あがり症や手の震え、手術恐怖症、自律神経失調症になった。
元々緊張を誰よりも感じる人間で、本番に力を発揮できないタイプでもあった。
また、ある部分では、自分に自信がない人間だった。
端から見るとそう見えないらしいが、確固たる自信というものを持ったことがない人間だった。
神経質で、 いつも自分を守って、さらけ出すことはしなかった。
親の影響がとても強い。
親もそういうタイプだった。
父方の両親もそういう感じだったから、脈々と受け継がれてきたのだろう。
迷惑な話だが、私の代でそれを終わらせなくてはいけない。
そのためにも一念発起した。
人に何にも悪いことをしていない、しかし私自身にいいことをしていたか?
二輪車に例えてみれば、私の人生はずっとブレーキーをいっぱい踏み込みながら、アクセルを誰よりも強く回して、それで前にやっと動いていた。
人よりも頑張ってきたということはいえると思う。
でもいつも心のどこかに違和感を感じながら。
当然ブレーキにガタが来るし、心が壊れてくるのは必然だった。
エンストも怖かった。
とにかく動け、動け、と必死で前に進んでいた。
完璧主義者だったし、妥協も嫌いだった。
人生って、ブレーキを踏み込まなくても、安全に前へどんどん進めるものだ。
そう今は気づいた。
しかし、私はどうしても怖くて、リスクをおそれて、ブレーキをかけ続けていた。
ブレーキを踏んでいることの方が、低速になって危険だというのに、私はおびえてブレーキを踏み続けていた。
そして、自分を必死で守ろうとした。
自分をさらけ出さないように調節しながら、用心深く生きてきた結果は、手の震え、書痙、自律神経失調症などの神経症という結末だった。
私は何一つ悪いことをして来なかったにもかかわらず、ひどい罰を被った。
それは、私は自分自身の心の本音に対して、悪いことをしていたからなんだと、自分なりに悟った。
悩むのは必ず理由がある。
表面的には、バイクは前に進んでいて、ある時期までは目的地にたどり着いていた。順調だった。
でも学歴的なものにしかすぎなかった。
もっと根本的な自分という存在はきしんだ音を立て始めていただろう。
しかし、そんなものを抑制してしまい、自分は成功していて、自信のある男だという外ッ面だけを装っていたし、そう思わなくては心のバランスがとれなかったのだろう。
まったく空虚な人生に思えたとき、一念発起へとつながったのだ。