こんにちは!今日は、私が“待つこと”から学んだことを、ちょっとシェアさせてください。
幼稚園のころ、いつも一緒だった幼なじみがいました。
おやつを分け合ったり、帰り道も一緒だったり、ほんとうに仲良しで。
でも、小学校に入ると、その子と遊ぶ姿を見かけることがだんだん少なくなっていきました。
「どうしてだろう?」と思うことはあったけれど、なかなか聞きにくくて。
その“空白”の時間が、私にとっても、子どもにとっても、大切な時間だったのかもしれません。
すれ違いの始まり
小学校にあがって、クラスが別々になる日々が始まりました。
遊ぶ時間が減って、相談しあう機会も少なくなって。
私は胸の中に、モヤッとした違和感を抱えるようになりました。
「なんで昔みたいに仲良くできなくなったんだろう?」と、問いかけてみたくなるけれど、なかなか言葉が出なくて。
“別に”という壁
ある日、勇気を出して聞いてみました。
「最近、あんまり一緒にいないのは、どうしてかな?」
返ってきた言葉は、簡単で、でも深くて。
「別に~」
その“別に”という言葉の裏側に、無数の思いがあるように感じて、
それ以上は聞かない方がいいような気がしてしまいました。
親の揺れと見守る選択
どう関わるべきか、悩みました。
声をかけすぎたら押しつけになるかもしれない、
逆に何もしなさすぎたら、子どもが孤立を感じるかもしれない。
でも少しずつ思い始めました。
子どもには、自分で距離を見つける時間が必要なんだと。
私がすべきことは、ただ「見守る」こと。
手を伸ばしすぎず、でも「いつもそばにいるよ」という安心感を伝えたい。
再び交わる道
そして、数年後。
偶然また同じクラスになったとき。
最初は照れくささがあったけれど、少しずつ距離が戻っていきました。
話題に幼馴染の名前がでてくるようになり、帰りに一緒にいるのをみかけたり。
子どもは、自分のペースで、友情を取り戻していったのだと思います。
気づき:母の成長
「親が先回りしすぎること」がいいわけじゃない。
「見守ること」もまた、愛になるということを、私はこのとき知りました。
子どもには、自分で選ぶ力がある。
私はその背中に「見ているよ」という信頼を添えて、少しずつ母として育っている気がします。
今回の家族ヒーロー:次女
友だちとの距離感を、自分なりに考えていたあなた。
その真摯な姿勢を、私は心から尊敬します。