「……え?」
結衣の声が止まる。湊も、梨紗も動けなかった。
夜のマンション前。
冷たい風。
沈黙。先に口を開いたのは結衣だった。
「……なんで湊がいるの?」
その声は驚きと警戒が混ざっていた。梨紗が困惑した顔で二人を見る。
「え、知り合い……?」
湊は喉が詰まる。“元カノ”その一言が、なぜかすぐ出なかった。
代わりに結衣が苦笑いした。
「知り合いっていうか……元彼」
空気が止まる。梨紗の目が大きく揺れた。
「……え?」
「しかも三年付き合ってた」
追い打ちみたいに結衣が言う。悪気があるのか、ないのか分からない。
でも、その言い方に湊は少し苛立った。
「結衣」
「なに?」
「その言い方やめろよ」
「じゃあどう言えばいいの?」
刺々しい空気。別れて半年。
なのに、こういう空気感だけは身体が覚えている。
結衣は昔からそうだった。本気で怒る前ほど、笑う。
「……梨紗、寒いし一回中入ろ」
結衣は梨紗の腕を軽く引く。そこで初めて湊は理解した。
——二人、知り合いなんだ。
しかも“梨紗”って呼び方。
かなり近い。梨紗は気まずそうに湊を見る。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、謝ることじゃ」
「湊、ちょっといい?」
結衣が真顔で言う。昔、何か大事な話をする時の顔だった。
数分後。
梨紗だけ先にマンションへ戻り、湊と結衣はエントランス前に残った。
沈黙。
先に視線を逸らしたのは湊だった。
「……久しぶり」
「今さら?」
「いや……」
「半年ぶりくらい?」
結衣は自販機で缶コーヒーを買う。
昔から、イライラすると甘いコーヒーを飲む癖があった。
変わってない。
「で?」
結衣が缶を開けながら言う。
「なんで梨紗と一緒にいるの?」
「偶然会った」
「偶然で家の前まで送る?」
「……色々あったんだよ」
「ふーん」
信じてない顔。湊はため息を吐く。
「お前こそ、なんで梨紗と?」
「会社の後輩」
「後輩?」
「同じ部署」
そんな繋がりだったのか。世間って狭すぎる。結衣は湊を見つめる。
「ねぇ」
「なに」
「梨紗のこと、好きになった?」
核心だった。しかも、やけに真っ直ぐ。湊は言葉に詰まる。
まだ出会って数時間だ。そんな簡単に——。
「……わかんない」
そう答えるしかなかった。すると結衣は小さく笑う。
「でも気になってる顔してる」
図星だった。悔しいくらい。
「湊って昔からわかりやすいよね」
「そうか?」
「好きな人いる時だけ、目優しくなる」
その言葉に、胸がざわつく。結衣は少し視線を落とした。
「……昔、その目で私見てた」
不意打ちだった。
別れてから初めて聞く、“過去形じゃない感情”。
湊は何も言えなくなる。すると結衣が笑った。
「なにその顔」
「いや……」
「安心して。復縁したいとかじゃないから」
そう言う割に、その笑顔は少し寂しそうだった。湊は聞く。
「さっきの連絡、なんだったんだよ」
「あぁ」
結衣はスマホをポケットにしまう。
「急に湊のこと思い出しただけ」
「なんだそれ」
「コンビニでカフェラテ見て」
心臓が止まりそうになる。それは、湊も同じだった。
別れてからずっと。無意識で手に取ってしまうくらいには。
結衣は苦笑いした。
「……ほんと、タイミング悪いね私たち」
その言葉が、妙に刺さる。もし半年前。ちゃんと向き合えていたら。
仕事ばかり優先しなければ。違う未来もあったんじゃないか。
そんな考えが一瞬よぎる。
でも、その時だった。
マンションのエントランスが開く。
梨紗が戻ってきた。
「あの……」
その顔は、どこか不安そうだった。
「ごめんなさい、変な空気にしちゃって」
「いや、梨紗は悪くない」
湊が言う。すると結衣が突然ニヤッと笑った。
「あ、そうだ。梨紗」
「え?」
「湊、昔めちゃくちゃ重かったよ」
「おい」
「返信5分遅れただけで、“何かあった?”って来るタイプ」
「それ最初だけだろ!」
「しかも付き合うと急に尽くす」
「やめろって!」
梨紗が思わず吹き出す。さっきまでの緊張が少し緩んだ。
「へぇ……意外」
「全然クールじゃないよこの人」
「結衣」
「はいはい」
昔みたいな会話。懐かしい空気。だけど、その中で湊は気づいてしまう。
今、自分が一番気にしているのは——。
“梨紗がどう思ったか”だ。すると梨紗が、小さく笑った。
「なんか安心しました」
「え?」
「ちゃんと人間っぽくて」
その言葉に三人とも少し笑う。
でも次の瞬間。
梨紗のスマホが震えた。空気が変わる。
画面を見た瞬間、彼女の表情が固まった。湊は嫌な予感がした。
「……悠斗?」
梨紗は黙ったまま、ゆっくり頷く。そして。
次のメッセージを見た瞬間
——彼女の顔色が変わった。
「……え?」
「どうした?」
梨紗は震える声で呟く。
「“今、お前の家の下にいる”って……」
その瞬間。
三人の背後から、低い男の声が聞こえた。
「——梨紗」
振り返る。街灯の下。
一人の男が立っていた。その目は、真っ直ぐ湊を見ていた
最終話へ続く