第2話:空白が作る「心の隙間」、そして魔法の予感

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「健人さんが、……事故に遭ったって、今、警察から連絡があったの」母の言葉が、耳の奥で何度も反響する。
カフェの床に落ちたコーヒーカップから、黒い液体がじわじわと広がっていく。店内の喧騒が、まるで水の中にいるように遠のいていく。
どれほど大勢の人が喋っていても、自分の人生を揺るがす名前だけが、鋭く鼓膜を刺した。

しかし、一瞬のパニックの後、美咲の脳裏にある違和感が芽生えた。
「……お母さん、待って。なんでお母さんのところに連絡が行くの?」
美咲と健人は、マッチングアプリで出会ってまだ数回会っただけの関係だ。親に紹介などしていない。ましてや、健人が美咲の実家の番号を知っているはずもなかった。

「それが……健人さんの免許証と一緒に、あなたの名前が書かれたメモが入っていたみたいで。そこに私の実家の電話番号が添えられていたって」
母の声は、困惑と不安に震えていた。
美咲は、心臓の鼓動が早まるのを感じた。なぜ、彼は私の実家の番号なんて知っているのか。(まさか、最初から私を調べていた……?)

美咲は、かつて夜の世界で17年間、数多の嘘と真実が交錯する人間模様を見てきた。人の善意の裏側にある「闇」には、誰よりも敏感なはずだ。カウンセラーとしての冷静な分析回路が、激しく警報を鳴らし始める。

タクシーを拾い、母から聞いた病院へと急ぐ。
車窓を流れるネオンが、雨に滲んで見えた。美咲は鞄の奥からスマートフォンを取り出し、再び電源を入れる。

画面が明るくなった瞬間、彼からではない、見知らぬアカウントからのDMが通知欄を埋め尽くしていた。
『DMで、「絡まった気持ち」がほどけるサポートをお願いしたいのですが』『あの日から、私の時間は止まったままです。助けてください、おかゆ先生』
それは、美咲が「おかゆ」という名前で運営している、心の保健室チャンネルの視聴者たちからの切実な声だった。

「今は、それどころじゃないのに……」
指が震える。

病院の救急受付に駆け込むと、そこには警察官と、疲れ果てた表情の女性が一人立っていた。

「……あ、あなたが、美咲さんですか?」

その女性は、健人の母親だと名乗った。彼女の目には、明らかな「敵意」と「焦燥」が混じっていた。

「健人から聞いていました。あなたという『カウンセラー』が、彼を追い詰めていたって。
彼、あの日からずっと、あなたのことが怖くて眠れないって言っていたんですよ」(……私が、彼を追い詰めていた?)

美咲の頭の中が真っ白になる。
追いかけていたのは、私の方だった。執着を手放そうと苦しんでいたのも、私だったはずだ。
フレーミング効果。同じ事象でも、どの枠組みで捉えるかによって、真実は180度変わる。

健人の母の言葉という「枠」で見れば、美咲は「客を追い詰める執念深い女」に成り下がっていた。

「健人さんに会わせてください」

美咲が絞り出すように言うと、健人の母は冷たく笑った。

「会わせるわけがないでしょう。彼は今、ICUにいます。それに、彼が意識を失う直前に言った言葉、教えてあげましょうか?」

母が告げたその言葉は、美咲がこれまで信じてきた「彼との3日間」を、根底から破壊するのに十分なものだった。

「『あの女から、僕を隠してくれ』。それが、彼の最後の言葉よ」

病室の廊下に、冷たい沈黙が流れる。

その時、美咲のポケットの中でスマートフォンが再び震えた。

今度は、健人の本人アカウントからの着信だった。

(第3話へ続く)
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