しっかりしてると思われてるのがつらい。

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コラム
突然ですが、私の家はちょっと厄介です。

両親の離婚が中学1年生の時にあり、父親の借金がウン千万円あって保証人の母が全て返済、我々姉弟3人で母を助け、姉と私で弟の面倒を見ていました。
うちにお金がないことがわかっていたので、行きたい私立の高校に私は行くことができませんでした。
母の顔色を窺って専門学校にも行きませんでした。

しかし良いこともありました。
公立高校に入ってすぐ、恋人ができたのです。
父親がいない寂しさを恋人で紛らわせていました。
ずっと親に対して我慢していた我儘を恋人に沢山ぶつけていたのです。
それは幸せな日々でした。
しかし、そんな幸せは長くは続きません。
恋人の浮気が発覚したのです。
初めての恋人、初めての浮気、初めての裏切り。
中学の頃に我慢していた、その箍が外れたせいもあり、それからの私は全く我慢できない弱い人間になってしまいました。

オーバードーズやリストカットを始め、好きでもない男性に身を委ねる(金銭は発生してません)自傷行為をしていました。
そんな弱い私を見て母は言いました、

「もっとしっかりしている子だと思ってた」

と。

この世にしっかりしていて心が強い子どもなんているのだろうか。
当時はそんな事は思えません。
ただただ親に見放された気分で誰からも必要とされておらず、誰からも愛されない人なのだと自分を責めました。更に自分を責めました。

「しっかり者」というレッテルは今でもついてまわります。
「しっかりしていると思っていたから、甘えられて引いた」と言う2年前に別れた元恋人。
「君はそんな事を言う子じゃないだろう」と言った10年前に別れた元恋人。
「しっかりしてそうに見えるけど寂しがりで甘えん坊だよね」と言う元恋人。

なんなんだ、しっかりしているって。
しっかりしているように見えるのは、一体私のどういった所からなんだ。
当人が一切しっかりしているつもりがないのに、どうして周りは私をしっかりしていると認識するんだ。
私には全くもって理解できない。何年経ってもわからない。
たしかに私は仕事をし、お給料をいただき、そのお給料で一人で生活している。自立はしている。
自立はしているが自律はできていないと自信を持って言える。私は自律していないし、それに伴いしっかりもしていない。

先にも述べたように、しっかりしていて心が強い人なんて存在するのだろうか。
人生で初めて浮気をされ、裏切られても己を律していられる人がいるのだろうか。
推しが突然居なくなる人生が訪れて、自分を律していられるだろうか。
それでも生きていかなければならない、学校や職場に行かなければならない。それはわかる。(当時の私は学校に行かなかったので心が弱すぎたのかもしれない。)
しかし、学校や職場に行ったり、約束を守って出かけたりするからって、それが心が強かったりしっかりしていると言えるのだろうか。

何かが起こった時、それでも通常業務をこなす人たちが素晴らしすぎるだけなのではないだろうか。

君たちは素晴らしい。
自分を誇っていい程に。
しっかりしている人なんていない。
大人も、子どもも。
だからもし、近くにしっかりしていて感情をあまり表に出さない人がいたら気にしてあげてください。
何かをきっかけに鬱になったり、自傷行為をしたり、最悪の場合自死をしてしまうかもしれません。
そして、心が弱い人がいても貧困の人や被災された人を例に挙げて比べないでください。
人の心の強さはそれぞれなのでその人にとっては今の現状がその感情を引き起こしているわけですし、例に挙げられた人達は比べられるためにいるわけではありません。

また、人は強くなれます。
私は強くなりたいと思って、果敢に立ち向かいボコボコにされても凹んだ所に鉄製のもので補強して生きてきました。
そんな私だから思います、人はしっかりしてなくても強くなくても良いし、それだけで人間は測れない。
自分の良さなんて他にもっといくらでもあるから。
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