家族や友人、恋人や理解者の存在に、救われた経験がある方も多いのではないでしょうか。
けれど、あるときふと立ち止まって考えることがあります。
もし誰も隣にいない時間が訪れたら、私たちは歩けなくなってしまうのでしょうか。
誰かに支えられていなければ、人生は進めないのでしょうか。
そんなことはない、と私は思います。
人生の伴走者は、必ずしも他の誰かである必要はありません。
もっとも長く、もっとも近くで人生を見つめてきた存在は、ほかでもない自分自身だからです。
嬉しい出来事があった日も、胸がぎゅっと苦しくなる夜も、眠れないほど不安な朝も、自分はずっと自分と一緒にいました。
うまくいかなかった瞬間も、逃げ出したくなった気持ちも、誰よりも詳しく知っているのは自分です。
それなのに私たちは、ときどき自分にとても厳しくなってしまいます。
「もっと頑張らなきゃ」「こんなところで止まってはいけない」と、自分を追い立ててしまうことがあります。
弱音を吐くことすら許さず、苦しくても前に進むことだけを求めてしまうのです。
でも本当に必要なのは、そんな厳しさでしょうか。
人生を長く歩いていくためには、結果を責める存在よりも、呼吸を整えてくれる存在のほうが大切なのではないでしょうか。
疲れているときに「少し休みましょう」と声をかけてくれる人、息が上がったときに「今日はここまでで十分ですよ」と認めてくれる人。
そんな伴走者で、自分が自分に対してなれたらいいのだと思います。
もちろん、誰かに支えてもらうことは悪いことではありません。
誰かと並んで歩く時間は、人生を豊かにしてくれます。
同じ景色を見て、同じ速度で笑える瞬間は、とても大切なものです。
ただ、その時間がずっと続くとは限りません。
人はそれぞれの事情を抱え、それぞれのペースで歩いていきます。
だからこそ、自分自身が伴走者であるという感覚は、心を静かに支えてくれます。
人生は競争ではありません。
誰かと比べて速いか遅いかを測る必要はないのです。
立ち止まる日があっても、遠回りをしても、それはすべて自分の歩みの一部です。
大切なのは、自分の疲れに気づいてあげることです。
ほんの少し進めた日には、「よくやりましたね」と声をかけてあげることです。
昨日より一歩でも前に出られたなら、それだけで十分なのです。
人生の伴走者を自分にするという選択は、孤独を選ぶことではありません。
それは、自分を見捨てないという、静かでやさしい決意です。
誰もいない夜でも、自分だけは自分の味方でいると決めることなのだと思います。
うまくいかない日があっても大丈夫です。
立ち止まる時間が長くなっても構いません。
自分の呼吸を感じながら、自分の足で、自分の速度で歩いていけばいいのです。
人生の伴走者は、自分でいてもいいのです。
そう思えたとき、人生は少しだけやわらかく、少しだけ生きやすくなるのではないでしょうか。