今日は、私自身が幼少期の自分を振り返ることで、パートナーとの関係性での問題を明確化、言語化できたことをお伝えしたいと思います。パートナーとの関係性で悩んでいる女性の誰かの一助になれば幸いに思います。
平凡なお見合い結婚で結ばれた両親のもとに結婚後3年経ってようやく授かったひとり娘が私です。祖母と両親、私の4人家族。昔のことですから、祖母は本当は家の跡取りとなる男の子を望んでいたに違いありませんが、私が誕生した時に嫁である母の手を握って「良かった、良かった」と初孫の誕生を喜んだと聞いています。
大人になって見返したアルバム、そこには私の誕生日の毎月〇月△日の
「△日」前後の写真がありました。当時、職場が家から近く、昼休みに戻ってはひと月ごとの娘の成長をカメラに収めていたのです。
経済的にはどちらかというと豊かな家庭でした。幼稚園のころから習い事をし、小学校から私学に通い、中学受験をして中高一貫の女子校育ち。外見上は親の愛情も一心に受け、何不自由なく育った女の子だったと思います。
父は幼い頃に父親が亡くなり、自身の育ちが苦境に満ちた人でしたが、我慢強く努力家である反面、自分にも人にも厳しい、いわゆる厳格な父でした。
祖母は漁師の娘で、バツイチで祖父と再婚、父が3歳で夫と死別し、女手ひとつで父を一人前に育て上げねばという使命感でもって気丈な性分でした。
母は、商売人の両親の長女として裕福に甘やかされて育ち、嫁姑の苦労が生まれて初めての自分の思い通りにならない事だったようです。
外見上は何の問題もない家庭のようでしたが、実際には、嫁姑の争いが絶えず、母はそのストレスを娘の私に日常的にぶつけ、理不尽なことで叱られては泣くこともよくありました。
祖母には可愛がられた記憶しかありませんが、母の手前、祖母と仲良くしすぎないように子供心にバリアを張っていたように思います。
そして、父はとても厳格で、とりわけ私を跡取り娘として恥ずかしくないように厳しく育てようという気持ちがあったようです。2,3歳のころから言う事を聞かないと押し入れに閉じ込められたり、庭に放り出されたり、酷いときには顔や体を叩かれました。子どもにとっては怖いとしか表現できない父でした。
子供の頃のその体験から、思春期になっても、大人になっても、父には逆らえないという概念のようなものが私の心に存在していたと思います。
ここまで、なんだか暗い暗い独白のようになってしまいましたが、この歳になって自身の成育歴を恨むつもりは全くなく、今は両親もその時はその時で必死に生きていたのだろうなと理解しています。
幼少期のちょっと厳しい家庭環境からか、その後の人生経験からかわかりませんが、私は「気が強い」らしいです。これも自覚は全くありませんでしたが、つい2年ほど前に職場の人から言われ、パートナーにそれを話すと、「え?知らなかったの?あなたは相当気が強いよ。僕はこれまであなたみたいな女性に会ったことはないくらいだ。」と言われて初めて腑に落ちた次第です。
そうか、私は気が強いのか…
パートナーとはよく口喧嘩をします。喧嘩というより、私の方が先に喧嘩腰になってしまうことが多いのです。そして、口からは無意識に攻撃的な言葉が出ます。なんで、些細なことでこうなってしまうのだろう?なんとかしたいなと考えていました。そして、まさに今日、やっと言語化できたのです。
前の結婚のときから薄々感じていた私の心の中の「男性恐怖」それに私の「気の強さ」が加わり、化学反応が起こり、男性に対して「やっつけられる前に、やっつけてしまおう」という心理が生じるという私独特の心の癖です。
「男性恐怖」+「気の強さ」=「やっつけられる前に、やっつけてしまおう」
このように言語化できたのは、パートナーのお陰かもしれません。
喧嘩腰になっている私に対して、本気で言い返すこともせず、大喧嘩には発展しないで今まで来ました。ある意味冷静に受け止めてくれていたというか…
有難いことですね。