【第七話】なぜ、本籍地から考えようとしたのか
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戸籍を閉じてから、
すぐに何かを始めたわけではありません。
外に出よう、と
決めたわけでもなかった。
ただ、
同じ名前を何度も見返すことに、
少しだけ、意味を感じなくなってきたのです。
人を追うには、
ここは、もう行き止まりなのかもしれない。
そんな感覚が、
はっきりと言葉になる前のところで、
残っていました。
本籍地は、分かっています。
最も古い戸籍に書かれている場所。
地名も、町名も、番地もある。
市町村史を調べる。
土地の来歴を見る。
図書館に行けば、
何かしらの資料は見つかるはずです。
それも、
頭では、ずっと分かっていました。
先祖調査というと、
どうしても
「どこまで遡れるか」に
意識が向きがちです。
何代前まで分かったか。
江戸まで行けたか。
それより前に名前があるか。
けれど、
戸籍で分かるのは、
血縁関係と、年代と、
形式的な移動までです。
その人が、
どんな場所で、
どんな暮らしをしていたのか。
そこまでは、
戸籍だけでは見えてきません。
昔は、
今のように気軽に
引っ越しができる時代ではありませんでした。
だから、
最古の本籍地というのは、
その人が、
長い時間を過ごした場所である
可能性が高い。
人を追えないなら、
せめて、
人が立っていた場所を見てみよう。
そんな考えが、
いつの間にか、
浮かんでいました。
図書館に行き、
郷土史の棚を眺めました。
地名の由来。
村の成り立ち。
昔の産業。
暮らしの様子。
人の名前は、
ほとんど出てきません。
けれど、
土地の記憶は、
思っていたよりも
たくさん残っていました。
司書の方が、
何気なく教えてくれました。
「この辺りは、
昔は八割がた、
漁師だったそうですよ」
その一言で、
土地の輪郭が、
少しだけ、はっきりしました。
海が近い。
漁に出る人が多い。
生活は、
海の都合に左右される。
そういう前提の上で、
人が生きていた。
戸籍には、
そうした背景は
一切、書かれていません。
人の本が、
まったく無いわけではありません。
偉人伝もある。
名家の記録もある。
名を残した人たちの資料は、
たくさんあります。
ただ、
私が探していた名前は、
そこにはありませんでした。
探し方が足りなかったのかもしれない。
見つけられなかっただけなのかもしれない。
それでも、
普通に生きた人ほど、
本には残らない。
そんな当たり前のことを、
改めて突きつけられた気がしました。
土地の歴史を知り、
文化を知り、
当時の暮らしを想像する。
情報は、確かに増えました。
けれど、
知りたかった人には、
まだ、近づけていない。
分かったことは増えたのに、
核心は、
少しも近づいていない。
そんな感覚が残りました。
それでも、
ひとつだけ、
はっきりしたことがあります。
この土地を知らないまま、
人を分かったつもりには、
なれない。
答えが出たわけではありません。
確信があるわけでもありません。
ただ、
そういう気がした。
それだけでした。
このときも、
私は、まだ動いていません。
けれど、
視線は、
確実に、
戸籍の外へと
ずれ始めていました。