自己肯定感が低いということは、
もっとやらなければならないという原動力になります。
しかし、これは負の原動力です。
あまり、これを使うと心によくないです。
自己肯定感が低いという原因は、他人と比べるからです。
本来的には「他人事」であるのに、
他人と比べて、「もっと、もっと」となるのです。
ちょっと前に、アナと雪の女王という映画がはやりました。
その歌の中で「ありのままで~」という部分があります。
ありのままの自分を承認してあげるということは、それはそれで大事です。
でも、そうすると堕落してしてしまうのではないかという懸念が生じます。
例えば、浮浪者は、職がなくなってホームレスになった方を除いて、
「ありのまま」で生きているのではないでしょうか?
では、「ありのまま」ではいけないのかと考えてみました。
すると、アグレッシブに努力をしているけれども、「ありのまま」に生きている例を見つけました。
それは、登山家です。
登山家はなぜ山に登るのでしょうか?
その答えは有名です。
「そこに山があるから」です。
登山家は、山があるから、山に登りたいのです。
頂上にたどり着ければ、達成感Maxでしょうし、
たとえダメでも、次トライすればよいや、と思うでしょう。
失敗しても、自分を責めたり、自分はダメだなんかとは、あまり思わないのではないでしょうか?
このことを考えると、
自己肯定感が低いということは、していたことが自分を追い込まないとならないような、負の原動力で行っていたということです。
受験とか、出世競争とか、そうですよね。
これが自己肯定感が低くなった理屈になると思います。
では、負の原動力って全くダメかっていうと、そうでもないような感じもします。
例えば、ある目標のために、毎日やることをスケジューリングするとします。
するとスケジュールに追い立てられるような気もしますが、
スケジュールを一つ一つこなしていたないと目標が達成できないのは明らかです。
今日はちょっと怠けたい、と「ありのままに」してしまうと、目標が達成できまません。
このくらいは、負のエネルギ―を使ってもよいのではないかと思います。
まとめると、自己肯定感の高低は、どれだけ負のエネルギーを使ったかどうかに関係するということではないでしょうか?
(土屋敦義と共著)