第三回 自己肯定感が低いと生きるのがつらくなる理由その②

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コラム
冬や最近の夜のように、寒くなるとなんか切なくなったり気分が落ち込むことがあるのはなぜだろう?
 これは、ウインターブルーなどと呼ばれ、主に日照時間の短さに原因があるらしい。
 昼間日光浴びてセロトニンばんばんに作っとこうね!

さて、この歳(49)になると自分の身の上話を公開するのはとんと恥ずかしくなる(若い時はあんなに自己アピールに余念がなかったのになぁ……)ので、前回のコラム? もたぶんちょっと後に読んで身悶えするんだろうなーとは思ってますが、『例題』にするからには自分の人生をおいてほかにないので、引き続き過去をさらしながら「なぜ自己肯定感が低いと生きるのがつらくなるのか?」について解説したいと思う。

前回は自分よりも他人を優先する、優れてると思うクセがついてしまうことによって、更なる攻撃や困難を呼び込んでしまう、というお話をした。

今回は「自分の存在価値を周りと比較して『能力』だけで決めてしまう」について語ろう。


近年は「マウントを取る」という言葉が頻繁に使われているが、あれをやっている人たちは押し並べて自己肯定感が低い。自分だけでは自分の存在価値を認めることができないので、他者を「自分より劣っている」としないと、その場に存在することさえ自分に許してあげられないかわいそうな子たちなのだ。
いわば、「弱い」としている他者の力を借りないと生きていけないというわけだね。似たようなケースで、よく「俺すげえ」「私すごい」を周りに言い散らかしている人を指して「あの人は自己肯定感がめちゃめちゃ高い」みたいな言葉を耳にするが、とんでもない。そういう人ほど、他人に認めてもらえないと死んでしまうくらい自己肯定感が低い。彼らは、他の人に認めてもらわないと、生きるのがつらいのだ。

かくいう私が、そんな人間だったからだ。

さすがにマウントをあからさまに取るほど嫌な人間ではなかったつもりだが、傍から見るとどうだったんだろうなぁ……。若い時の自分は、今の自分からすると恥ずかしさも交じりつつ「かわいかったな」と微笑ましく思えるのだが、いろんな方にいろんな迷惑をかけてたんだろうと思うと申し訳なさが勝る。

例えば、いじめを受けたり、父の高圧的な態度に「負けて逃げた」という後ろめたさを抱え続けていた10代の頃。ボクシングと出会って自分に強くなった自信ができると、まぁ調子に乗っていた。実際に手当たり次第にケンカを吹っ掛けるとか、そういう迷惑行為に及んでいたわけではないが「強い自分」という能力に頼って存在していたことは間違いない。
大学二年生のころは年二回の山梨県内の大会でいずれもレフリーストップ(プロでいうTKO的な)で勝利してたので、さらに調子に乗っていた節がある。はっず。言動にそういうやらしさがにじみ出てたに違いない。はっず。

社会人になっても、塾講師のときはやれ研修担当に指名されただの、人材派遣営業の時はやれ全国月間トップを取っただの、そういう見てくれの「勲章」を大いに誇った。それが講じて新規開拓チームのリーダーを任されるのだが……そういう強権的な人に誰が付いてくるだろうか。チームの成績は最悪で、目標は未達続きのため、数か月で解任された。まぁ、当たり前である。当時は「鬼軍曹」などと陰口を叩かれ(会社辞めて仲良くなった元同僚に教えてもらった笑)、怒鳴ることしか知らなかった。結局営業的にもリーダーとしても優秀な後輩に追い抜かれ、さらに焦って支店長と一緒に会社のルールを破って営業成績を上げようとしたのがバレて、東京のコールセンターに飛ばされてしまったのである。

能力を頼りにしていれば、いずれ必ず自分よりも優れた人と出会う。そして、自分よりも上に行かれる。その時、自分よりもいい成績を指している、いい給料をもらっている、部下に慕われているなどなど、うらやむばかりでは生きるのがつらくなって当然なのだ。

私もあなたも、例えどれだけ人より劣っていようと、生きてていいのだ。何が出来なくても、存在してていいのだ。


昔の私は、それを自分に許してやることができず、能力以上に人より優れているように見せかけようとして、潰れた。
自己肯定感とは、ただ生きているだけの自分を許し、ほめ、称えることでもある。

だって、生きてるあなたは、それだけで素晴らしいのだから。


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