久々に熱が出ました。
1〜2日程度寝れば治ると思ったのですが、
治らない・・・。
変な病気?
コロナ??
インフル??
と思いながら病院へ行ったが、
予約が一杯で受診できず帰りました。
会社へ休みの連絡を入れるが、
大丈夫?以前に
「病院へ行ったのか?」
「体調が悪い中すみません。〇〇おねがいします。」
などと言われ、
早く病院へ行って治して「稼働」しろよ!
と言われているようで辛くなってしまった。
家に帰るとコロナが流行っているとのこと。
自分ももしかするとコロナかも知れないが、
医療関係者ももういっぱいいっぱいの様子。
私の場合は少し「治りかけ」の感覚があったので、
病院はもういいかも。と思い諦めた。
本当に必要な人が病院へ行けば良い。
と考えたのだ。
そう思えば逆に気が楽だ。
あとは、
辛いながらも、自宅でゴロゴロしとけば良い。
上がったり下がったりする熱。
あー
本当にコロナかも知れないな〜
と思いつつも、
何もしたくない
何もしなくても良い贅沢を感じた。
動きたくないし、
水を飲むにも精一杯。
飲み物がなくなったら、
一番近くの自販機に行くので精一杯。
熱が出て、
ぼーっとした中でも
何かやらなきゃ。
という謎な焦りが出てくる。
さて、
何かやったところでどうなるんだ・・・??
どうにもならない。
いや、
熱とか関係なく。
「特に何者にもならなかった」
という当たり前の事実に気づいてしまった。
いつも何者かになりたかった。
自分はこうです!
と自分を定義づけたりするもの。
私は看護師です。
私は教師です。
とか、そうゆうの。
しかし、
私は特に何者にもならなかった・・・・。
そして何者になりたいのかもわからなかった・・・。
しかし、
何かになりたくて、
今まで努力して(自分なりに)頑張ってきた。
ただ、よくよく考えてみると。
何者かになれる人って
ごく一部の人なんじゃないのかな?
自分たちが思う「何者か」はそれこそ、テレビで見る大谷選手だったり、
そのような著名人だ。
当たり前だが、
そのような人は一部しかいない。
大多数が、
何かになりたくて、
何か成し遂げたくて、
何か「良く」なりたかったり、
違う景色を見たかったり、
そうしたいがために、
日々苦しんだり、
努力したり
してるのかも知れない。
「何かしなきゃ」
という
「何か」という行動は、
行動や学習を通じて
まだ見ぬ自分に出会いたい。
からなのかもね。