あのとき感じた“震え”は、たぶん、成長の合図だったんだ
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コラム
合唱コンクールが終わって一週間。
柚(ゆず)は国語の時間、
教壇に貼られた一枚のプリントを見て息をのんだ。
『来週、作文発表会を行います。
テーマは「わたしの好きなこと」』
(また、人前で話すのか……)
ステージで歌った日の光景がよみがえる。
あのときは、声を出すのがやっとだった。
今度は“言葉”で伝える。
しかも“好きなこと”なんて――。
胸の奥がまた、小さくざわめいた。
放課後。
音楽室の扉を開けると、
ピアノの音が響いていた。
新(あらた)が弾いていた曲は、
合唱の時と同じメロディ。
懐かしくて、心が少しだけゆるむ。
「……また来たの?」
「うん。なんか、
ここに来ると落ち着くんだよね。」
柚は笑いながら窓際の席に座った。
窓の外では、初夏の風がカーテンを揺らしている。
「作文、あるね?」と、新が言った。
「顔に“困ってます”って書いてあるよ。」
柚は頬をふくらませて、ため息をついた。
「“好きなこと”って言われても、
私、そんな大したことないし……
書いたところで、みんなに笑われるだけです。」
新はピアノの蓋をそっと閉じて、
柚の方を向いた。
「じゃあ、こう考えてみたら?
“好きなこと”は、誰かに見せるためじゃなくて、
“自分を生かすため”にあるんだって。」
「……自分を生かす?」
「うん。たとえば俺だったら、ピアノを弾くのが好き。
でも、それを“上手く弾かなきゃ”って思ってた頃は、
音が全然伸びなかった。
“好き”を守るために弾くようになって、
ようやく音が変わったんだ。」
新の声は穏やかで、心の中の風が静かに流れていく。
「だから柚も、
“上手く言おう”とか“評価されよう”とかじゃなくて、
“これを話すと自分があったかくなる”ってものを
選べばいいと思うよ。」
柚はしばらく黙っていたけれど、
やがてぽつりと言った。
「……私、誰かの“話を聴く”のが好きです。」
「聴くのが?」
「うん。
友達が悩んでるときとか、
ちゃんと聞いてあげたいって思うんです。
でも、自分の話になると、怖くて言葉が出なくなる。
人の心の声は聞けるのに、自分の声は聞けないのかも。」
新はうなずいた。
「それ、すごくいいテーマだと思う。」
「え?」
「“誰かの声を聴く”って、
“自分を信じる力”と同じなんだよ。
だって、人の話を聴ける人って、
自分の中に“静けさ”を持ってるから。」
柚の胸の奥が、ほんのり温かくなった。
作文発表会の当日。
教室の空気は少し張りつめていた。
柚は手の中の原稿を握りしめて、前を向いた。
「柚さん。お願いします。」
足が震える。
一歩ずつ前に出る。
深呼吸をする。
「……わたしの“好きなこと”は、
“人の話を聴くこと”です。」
教室のざわめきが、すっと止まった。
「話を聴くって、
簡単そうでむずかしいと思います。
ただうなずくだけじゃなくて、
“その人の気持ちを感じること”だから。
わたしも、そうしてもらったことがあります。
不安だったとき、静かに聴いてもらっただけで、
少しずつ、自分の中の声が戻ってきた気がしました。」
言葉をつむぎながら、柚は思った。
“いま、ちゃんと話せてる。”
心が震えても、声は消えない。
話し終えたとき、拍手が起きた。
その音の中に、新の顔が見えた。
いつもの、あの穏やかな笑顔。
放課後、帰り道。
西の空がオレンジ色に染まっている。
柚は言った。
「言葉にすると、
少し怖かったけど……言ってよかった。」
「それが、“言葉の向こう側”だよ。」
「……言葉の向こう側?」
「うん。言葉の先にあるのは、
“伝わること”じゃなくて、
“つながること”。
柚が話してくれた気持ちは、ちゃんと届いてたよ。」
風が頬をなでた。
柚は空を見上げた。
(あのとき感じた“震え”は、たぶん、成長の合図だったんだ。)
「伝えること」と「つながること」は、
似ているようで少し違う。
うまく言葉にできなくても、
心から出た言葉は、必ず誰かの心に届く。
声が震えるのは、
本気で“想い”を込めている証拠。
その小さな震えが、
あなたの中の“新しい自信”の芽を育てていく。