夕陽が、校舎の影を長く伸ばしていた。
彼女は夕焼けに染まりながら、ふいに僕のほうを見た。
「ねぇ……」
風に乗って、声が届く。
「ありがとうの続き、聞いてくれる?」
僕はうなずこうとしたのに、喉が動かなかった。
言葉のかわりに、ただ視線だけで答える。
言葉なんて、もういらなかった。
夕陽の色を映した彼女の瞳と、息を呑んだ僕の視線が、
ただまっすぐ、互いを捉えていた。
視線が絡んだだけで、胸が焼けそうだった。
怖いくらいに鼓動がうるさくて、
なのに、逃げようとは思わなかった。
――伝わるんじゃない。
もう、とっくに溢れてる。
彼女もまた、何も言わなかった。
けれど、その瞳は確かに言っていた。
「終わらせたくない。今、この瞬間を。」
風が吹いた。
二人の髪と制服を揺らしていく。
だけど視線だけは、どこにも揺れなかった。
言葉では触れられない距離。
それでも、今なら――心だけは、触れられる気がした。
彼女は少し笑って、それから――
笑ったまま、泣き出しそうな横顔になった。
夕陽のせいじゃなかった。
その目は、ずっと前から泣き方を知っていた。
「私ね、助けたかったんじゃないんだ。
あの日、本当に助けてほしかったのは……私のほうだったから」
胸の奥で、何かがゆっくりほどけていく音がした。
「だから、あの傘も……返さなくていいよ。
だって――」
風が強くなり、言葉をさらっていく。
「まだ、途中でしょ? 私たち」
僕はようやく息を吸い込んだ。
そして、たった一言だけ、彼女に向かって言った。
「聞きたいよ。
ちゃんと――全部」
彼女は涙をこぼさないまま、目を伏せて笑った。
「……じゃあ、もう少しだけ。
ここにいてね」
ありがとうって、終わりの言葉じゃなかった。
本当は、“一緒に歩きたい” の隠し言葉だった。