好きなことを仕事にする。

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先週、小学生のたまちゃんが、パパのアシスタント通訳ガイドとしてイギリス人のツーリストを連れて、広島へ向けて初出勤しました。

たまちゃんは、海外で暮らしたことはありませんが、英語が大変流暢です。
 もちろん、こういう過程を通って同じことをしたら誰でもと言うわけではないですが、一応、私は彼女の宿命を知っていますから、これはその個体差や誤差を計算にいれて、彼女のもともとの宿命に沿って、タイミングを選び環境を整えていった結果でもあるんですね。(そして、もちろん、その先で出会った、オンライン遠隔で彼女の教育に熱心に付き合ってくれた有能な教職免許を持った教師たちが、純粋に知恵を授ける気を受け渡しつづけてくれていることに、本当に感謝です。)

 子供がバイリンガルになった経験を踏まえて「英語は最初の土台(英語の塊・楽しさ・意欲・自信)ができれば、あとは自分で面白くなって勝手に伸びていきます。そこまでつくれるかどうかは親次第です。」って言ってた、専門家のお話しは本当だと思います。
 今、英語が大人よりできることで、学校でもちょっと知られているたまちゃん。ネイティブと普通に話しているたまちゃんを目にして、「どうしてこうなったの?」と周りの大人からいろいろと聞かれますが、経験上、研究上、一つ言えることがあると思います。

 端的に言って、英語を習得させたいと思ったら、子供以前に、幼児期の親の姿勢のほうが、実際の英語習得に大きく関わっていると思います。

 どうしてかというと、子供が英語にどう向き合うかは、親が英語をどう受け止めているかと言う姿勢をそのまま受け継ぎます。
 金をかけてネイティブ環境に入れる学歴重視型の見栄っ張り系金持ち親はたくさんいますが、たとえ金にあかせても、親が楽しく英語を話せない、学業で優越性を示すアクセサリーとどこかでとらえる、または外国人の前で固まる、といったような人だと、英語を理解していても子供たちは英語を話さない、という態度を頑なに取るようになります。
 親が優越性を出すための英語を話していると、子供も同じ態度をとります。

 バイリンガル幼児施設系は、有名私立小学校受験のポイント稼ぎのために入れている人が多いですので、その要求にこたえるべく、そういう教育機関のなかには、入学試験に向けて文法の正しさを小さい頃から要求するあまり、子供が余計なことを英語で話したらいけないと思い込んで、英語で話しても日本語で返したりするようになるところも多いんです。
 うちとは違う、関西の他のバイリンガル系列の教育内容を聞くと、「親の下手な英語を聞かせないでください」と親に指導した先生もいたそうで、いやはや、びっくりさせられました。

 子供からすると、たった一回の受験のために、英語の位置付けが一生、いやなものになってしまうのです。子供にとっては、どっちが優先事項なのかと思いながら、離れたところでそういう集団を眺めていました。

本当に使える英語を話す子供を育てたかったら、むしろ、親がたとえ、うまく話せなかったとしても、距離感が自然であることのほうが、すごく大事。
 間違うことは恥ずかしくない、と子供が認識できるからです。
そして、ちょっとできる自分が、親に教えてあげられる先生になることを喜びにするようになるからです。
 これは親子ケースをたくさん目の当たりにし、元バイリンガルキッズたちの証言からもはっきりしたこどもの英語教育の大原則です。

うちとて、英語はすごくできるわけではない。どちらかと言えば、苦手。
ましてやある事件がなければ、そんな幼児施設にいれることは絶対なかったし、本人の望みがなかったら、あんな上っ面だけの感性の親が大勢いるような高額な園には、絶対に入れなかったと思います。
(即物的なものに走る園全体のムードから、その弊害も子供の中にいまだにありますので、いいことだらけではないです。もちろん。)

だけど、英語を習得することを楽しんで実行する、使うことを当たり前にする、そういう環境が、子どもにとって英語が当たり前の環境を作ります。
どうせ習うのなら、と、そこだけは、気を付けてきたことです。

本来、英語っていうのは学業ではなくて、生活言語なんですね。
海外では移民も、ホームレスも一応英語話します。勉強ではないし、頭のいい証明でもない。

英語は便利に使うもの、世界が広がり、情報網を広げるための一つの道具。
 道具に、大人が勝手にいろいろな煩悩エネルギーをくっつけて取り扱うから、子供たちは敏感にそれを察知して、英語嫌いになるんですね。

だとしたら、もう英語は習わなくていい。
大きくなって、ある程度基礎を習ったら、ポケトークとか同時AI翻訳をリアルタイムで使っていけばいいだけのこと。
無理して、大事な子供時代を暗黒にする必要はないんです。

ひとつの客観的な指標ができたな、と思うので、今でこそ言えることがあります。これは、社会環境も大きく影響します。一番の言語過敏期である、幼児期に子供と楽しく英語で普通に会話することが、その後を決めます。
 しかし、その私たちの姿を見て、顔をしかめる周りの親子がどれだけ東京に多かったか!!
 彼らは英語を話す=嫌味、見せびらかし、と受け取ります。
 自分の学業体験で習得した価値観をフィルターに、親子をみて、勝手な反応をします。それが敵でしたね。

だからといって、私は辞めなかった。全く意に介さず、通しました。
 英語でマウント取ってると決めつける親子たち。
どう思われたところで、そいつらとは一生付き合う必要はないけど、子供はここで、言語に関する一生が左右される。それがわかっていたからです。

 英語教育領域に関わるたびにたくさんの矛盾を目にしましたよ。
 今、営利主義の幼児施設経営は、英語が経営の売りになっています。そうした、高額なバイリンガルコースに子供を入れているにも関わらず、親は間違うと恥ずかしいから日本語しか話さない、という状況。
自分はやらないけど、子供には英語で苦労させたくない、というんですよね。
 子供には、問題集やらせるけど、自分は、今日、子供と話すときに使う新しい単語・フレーズひとつ、検索して覚えようとしない。
 怖いものが目の前にあるとき、子供の背中に隠れて、お前だけ戦えと背中を押しているようなもんです。卑怯ですよね。
そのおかしさがみんな自覚できてないんです。
 あんた、頑張んなさい、じゃなくて、そこの親!お前がまず英語話せるようにしろよ!そうしたら、はじめて子供だって動き出す。
って、何度心の中でおもったことか。

さて、親が恐れている言語を、どうして子供が話すようになるでしょうか。
 うちは、英語は生活言語として生活の中で使いました。伝えるための道具として、使うもの。スパイごっこのときつかう、秘密の言語。だから、ちゃんとできたからといって、ほめたり褒められたりするものでもありません。
手話をつかって会話する心境と、英語の心境は全く同じであるべき。
 子供たちと接するとき、親としてはそのスタンスを通し続けましたし、そういう心理環境を提供できる大人たちとの時間を優先しました。

おかげで、娘たちは英語に特別な思いを持っていません。
優越性を示すためではなくて、そのひとと仲良くなるきっかけとして英語を話します。家に帰ったら英語に言語を切り替えて、ふざけ合うことも日常風景です。上と違って、日本語保育の幼児施設で育った下は、耳慣れするためにネイティブのいる英語の学童からスタートしてまだ行っているんですが、それでもとくに勉強せずに、今は英検3級取得者です。普通に、単語並べただけだったり、言い方間違っても気にせず、知らない英語ネイティブに話しかけ、英語を使っていきます。

「ようちゃんは、多分、英語をとくに気にかけてないですね。先生たちが英語じゃなくて、アラビア語で話していたら、アラビア語で話しかけていく子。言葉よりさきに目の前の人と楽しくやりたい、という気持ちが先に立っているから、これだけ英語が伸びたんだと思います。」と教室長が言ってました。

京都でであったご近所さん。関東から移住したそのご夫婦は、自分たちは海外の有名大学に留学した経験を持ち、大学の先生もやったことがある。
その、娘たちと同学年の子を持つその親が、飲み会の時に、こんなこと言ってきたんです。
「英語子どもに話さそうとする人は全員、自分の英語コンプレックスを子どもに押し付ける親なんだよ。」
じぶんがそうではなかったので、(全員?そうかな?みんなではないだろうな。でも、そういう視点で、このひとはそうみてるんだね。)と思いながら、聞いてたんですけど、2回も3回もこっちをみていうので、えっ私たちに当てつけて、言ってるのか!と、びっくりしたことがあったんですよ。
気がついた時は、なんだか、気持ち悪い人だな、と思いました。

 うちは一度も英語をやりなさい!と子供に言ったことはないです。
もちろん、先生の授業を真面目に受けないときは、英語だろうが日本語だろうが怒りますが。

そして、京都の成金型金持ちがよく使うフレーズ、「子供がやりたいていうたんや〜」(←本当は自分が暗黙のプレッシャーでそう言わせたのに)ということも、本当にやってません。

というか、そういうのに屈するうちの子供達ではないので、まずやりたくないことをやる、とかいう状況があり得なくて、やらせたところで、子供はまずいうこと聞かないと思います。
 親の知的レベル関係なく、人は煩悩フィルターで邪見で世の中を見る生き物なんですよね。教育スキルを本当に持っている人であれば、どういう動機でどう進めているのか、そこらへんはすぐにわかると思うんですけど、そういう人が結構保護者たちの中にもいます。

そんなふうに、うちの細かいプロセスが見えてないので、周囲から勝手な決めつけをされることはよくありますが、それでも教育方針にブレがないのは、宿命を軸に育てているからだと思うんですよね。

 何を教育するかよりも、よっぽど重要な大前提があるんです。
 宿命の中ではっきり関連性がない領域をさせるときは、子ども自身の意思を本当の意味で尊重してすすめることが何よりも大事。そして、また子供だけがもつオリジナルのその宿命に沿った条件をそろえてあげられる姿勢を持つ親であろうとすること。親の器のほうが教育には何よりも大事だってことです。

子育て全般に言えることですが、親が周りの目線を気にして、周りと同じようにしようとして、常識を優先することがあった時、それが子どもの本質に合わないことなのに押し付け続けたときは、一生にわたって及ぼすその害の方が、何もしなかった時よりも、とてつもなく大きいです。

 例えばなんですけど、それとなく、バレエがこの子にとって最高の伴侶になるなぁと思う子供の親にその世界をお勧めしたとき、1年半経って、「バレエを習わせることにした!」と回答があった、なんてことがあったんですね。

あ〜よかったなぁ、この子の特質にあったこと何一つ環境にないからなぁ、とおもったものの、言われてからずるずると親が、1年半もの期間を先伸ばしたことによって、筋肉神経の発達において、その子にとってどれだけ損失が大きくなったかが、わかってないんですよね。
とりあえず、すぐにさせればいい。宿命にあるんだから。
しかし、そういう気の世界を少しも知らない人は、その失ったものの大きさや早く得た方がいいものの価値がわからないんです。

そして、こどもをどうさせようか、と親のエゴが色々入ってくる。
自分だったら、という視点で子供を図るんですよね。
でも、子供は自分とは全く別人格。
しかし子供は親とうまくやりたい。だから、子供は親の反応を見て意見を調整するようになってきます。親の本音を汲み取り、本当はやりたいけど、やらなくていい、と答えてあげるようになってくるんです。
小学校2年生くらいからそれが顕著に出始めますね。

何が問題かというと、そういうことが子育ての中の親子関係で積み重なると、子供は自分の本音がわからなくなっていきます。魂が喜ぶことがなにか、感覚的に掴めなくなっていきます。
だから、親の思いや事情よりも、常識よりも、その子の宿命優先。
私は、それを大事にしていますし、それを理解している人が、宿命を教育の中で生かしていくことができると、これまでの経験からはっきりと言えるのです。そして、親に宿命をおしえてあげたとしても、それを具体的に生かすことができる精神熟練度のある親が少ないのが現実です。

玉ちゃんの場合は、宿命の中に龍高星・玉堂星という知的好奇心の星があらかじめあったんです。しかしそういう星がない子供が、運動や競争が大好きな子、エネルギーが大きい子、すぐに自信を失うタイプの子であった場合、そうした高度教育環境にいくらお金をかけて入れたところで、いい影響を得るとは限らないんですよね。むしろ害になる。

 例えば、英語に関係がない宿命の子を英語幼稚園に入れたところで、それは、楽しい環境ではありません。
 具体的には嫌な体験とともに聞いた言語は、子どもにとって嫌な気持ちになる音声として、自動的に拒絶するようになりますし、ひどいときは聞きたくないという無意識の働きから突発的難聴になったりもします。
そういうリスクを考えて、子供の本当の可能性を読んで、その環境を選択していかなくてはならないということです。

 一方、英語をはじめて2年でかけあがった、今小学校3年生のようちゃんがもうひとつの一例としてあげられます。
 彼女は龍高星が宿命の中になく、英語そのものに惹かれる宿命タイプではないですが、全体の宿命から俯瞰していくと、兄弟の世界を共有する宿命でべつなところにあった龍高星が一生を左右する星であったので、1年生から英語との関係を持たせました。

しかし、こういう子はほっといたら英語が好きになるとかいう子ではありません。英語より何より、下の娘の宿命は、何よりも周りからのあったかい愛情がとても大切な子供です。そういう意味では、英語だけさせても伸びることはなかったと思います。ところが、いまの英語学童で教えておられるネイティブ先生、バイリンガル先生は、みんな愛の大きい人がたまたま多い教室だったんですね。無料体験の日に、「ここ習っていい?とっても面白い。」と言ってきました。そして、結果的に英語ゼロから2年で英検3級になったのは、その学童の愛情環境が、彼女にとっては、先生ともっとわかり合いたい、英語を学びたいという動機につながっていったからだったんですね。

 アルファベットも書けなかった子供が、そこへいってぐんぐん伸び出し、結果として、進級しまくり、ついに限られた子だけがいく、高学年の子や中学生が通う、最上位レベルのプログラムに通うことになったんですね。
 もちろん、こっちから言ったわけではなくて、娘からいきたいと頼んできたんですよ?
「8時までは大変すぎるでしょ、とまた来年からでもいいじゃない」と言ったんですが、「好きな先生がそこで教えていて、その先生と友達ともっとお話ししたいから。」やらせてほしいのだそうです。w

 そして、その英語力の土台には、大事な社交性の力があると思います。
かといって、ECCとかベルリッツとかよくある英会話学校などにわざわざ通わせることもなくて、私としては、気に入った外国人に話しかけ、昔から親自身が英語ネイティブの友達を作り、普通に家に呼び合う関係を作るようにしてたんですね。だから、子どもにとってはガイジンさんたちは、特別なものではないんですよね。日本人も外国人も見た目は違うけど、ひととして同じ、と子供たちは思っています。

今になって、それが言語を学ぶ上で、重要な鍵になると、学童の先生も言っていました。

 そして、私自身にこういう環境をもつことに壁がなかったのは、もともと帰国子女が多い学校に通い、私の父が海外の家族をよくうちに招いて、その子たちと遊んでいた経験が私にあったからだと思うんですね。
というのも、親が子供の社会性を作るからなんです。
英語の試験は満点でも、外国人を前に、会話が弾まず、相手にされない人はたくさんいます。それよりも英語はそこそこだけど、外人の友達がいっぱいいるひとは多いんです。
 つまり、英語環境に入れるかどうかよりも、実際は、親の国際社会性の方が言語習得には重要なんだということなんですよ。

 それから、パパが正式に通訳ガイドの免許を取ったのは、玉ちゃんの将来の教育のためでもありました。親としては、普通の子供英語塾では、もはやこの年齢にあった対応できなくなることを見越していました。
 インターナショナル・スクールに入れる醍醐味は、さまざまな国の国際的な背景をこどものうちから知るためであったり、価値観の違いを知るためでもあったんですが、今のインターナショナルスクールの国の構成には偏りがあります。筆頭国として、生徒にはチャイナが多く、あとは日本の金持ちの子であって、先生が全員外国人であっても、とても国際環境とはいえない学校が多い。

 だから、日本にいながらそれができるように、パパが娘のために用意してあげたかった。世界各国の英語ネイティブ(第二言語が英語をふくめた)リアルの外国人たちと出会えるように、実際の実践の場を用意してくれたという陰の理由もあったんですね。
 実はインターナショナルスクールにやってくる国籍の違う子であっても、親がその国の人でなかったら、ほとんど自分の国のことを知りません。
日本人の子供が海外の学校に行っていて、日本人といわれていても、日本のことを全く知らないままそだつのと同じなんです。
 「ならば、ナマでリアルな現場にいるその国の家族と娘を引き合わせてしんぜよう!hahahaha」
という、車騎星パパの実践優先型の考えなんですね。w

 パパは車騎星ですから、自分が先陣を切って、娘の教育環境を切り拓き、そのために英検は準一級まで取りました。次一級目指しながら、ガイドやってます。側から見ても、実際のところ、忙しい仕事の合間、個人的にもかなり勉強していたと思いますよ。

要するに、すでにできあがったシステムがなければ、シノゴの言わずに、自分が環境を用意しようと、創りだす親なんですね。
 親が守護神の関係になっている子というのは、大体のケースで、親が子どもの本質にとって望ましい環境を自然と備えてくれる親です。


 そして、昨年の冬は、その準備段階として、小学生の娘を、ネイティブ先生が開催する大人向けの通訳ガイド養成講座に頼み込んで入れてもらっておいたんですね。 そういうケースが珍しかったので、カルチャースクールで会議議案になったらしいのですが、結局は中年を過ぎた大人たちの中で小学校4年生が、ガイドとしての心得を指導されたり、実践ガイドなどを経験させてもらうことができました。

 その体験から、たまちゃんは、南禅寺の実践ガイドをしてみて、これまでの普通の英語の授業を受けるときにつかう英語と実践ふむ違いとして、課題になったことに直面しなくてはならなくて、暗い顔つきではありました。
「全然、ダメ、って。」
ネイティブの講師も、たまちゃんにそれを指摘して、できるとおもっていた英語が実践で使えず、自分の語彙の少なさにショックを受けたそう。でも、だからといって、それ以降なにかしているようには見えなかったので、親としてはあの経験が子供の中で生かされているのか、は不明でした。

 これも、子供がやりたいというのを待つまでもなく、宿命に必要な布石は置いておくべきということで、用意した課題だったのですが、年齢が低すぎて、あんまり意味なかったのかなと思っていました。

宿命に沿っていても、その効果がその場ですぐに出るとは限らないということも、ポイントなんですね。しかし、その経験がなかったら、ガイドの現場に連れ出すこともできなかったんで、まぁよかったんです。

そして、それから、1年ぶりに今回の実践ガイド!

彼女がお客さんが希望した、ヒロシマを私も実際に見てみたい、と強く希望したこともあって、連れていくことになったのですが、どうなることか、宿命に完全に合致している範囲の職業といっても、体験を通して、その反応性を見るまでは、私も気になるところ。


そして、仕事を終えて、深夜パパと帰ってきた娘は....
非常に落ち着き払っていました。
(案外、普通だったのかな?)と思いながら聞くと、

「あああ〜今日、すっごくたのしかったぁぁぁ!」
とニコニコ顔。

イギリス人はインド系だったので、アクセントが強かったものの、さまざまな英語を結果的に聞き取ってきた彼女には難しくなく、慣れたら理解できる程度のことだったそう。そして、お客さんの英語ネイティブとの会話を続けていく中で、英語脳と日本語脳の変換速度のタイムラグが縮まっていくのを自分の中で感じたそうです。

そして、彼女は、昨年のガイド講習の課題を思い出し、ツアー前日、夜中までかかって、広島や厳島神社の色々をスライドにして、ガイド資料として日本語から英語訳して、自主的に作り上げていたのです。
それを新幹線の中で、イギリス人にプレゼンテーションして、驚かれ、非常に喜ばれたとのことでした。

パパとお客さんが発音がお互いに聞き取れなくて、会話が固まった時も、娘が間にいたり、パパが手が離せない状況でも、近くのお土産屋さんやモールでお客さんの買い物を通訳してお手伝いしてまわったそうです。
お客さんにも娘がいるので、日本の小学生に興味津々で、何気ない日常の話が面白くて仕方なかった様子。

そして、日焼けした顔で帰宅した娘が
「はい。ママに。」とチョコレートをどさっと渡してきたんですね。
「京都駅で買ってきたの?」と聞くと、
「ううん。これ、初めての私のお給料。」

 なんと、娘のガイドのクオリティの高さにお客さんがとても喜んで、「なんでも好きなもの言って!パパに内緒で、僕にプレゼントさせて欲しい!」と言うので、それでチョコレートを買ってもらったとか。

初めての出勤は、自分の語学が、お金につながる仕事になったことで、社会の中で生きていくための自信を身につけたようでした。

後日、パパがお客さんにツアーの感想を聞く中で、なにが一番印象に残ったのか質問したら、「たまちゃんのガイドが最高だった!キュートで、賢くて、面白くて!」と大興奮だったのだそうです。
「俺の熱意あるガイドよりも、たまのほうが良かったっていうんだよ〜!」
とパパは憤慨していました。w



たまちゃんは玉堂星と龍高星を持っています。
玉堂星は国内の星、龍高星は海外の星です。職業の星が龍高星ですので、外国人はたまちゃんの社会性の感覚は、とても楽なのです。
そして玉ちゃん自身は玉堂星ですから、国内のことと海外のことを両方やることで、自分の心の安定があります。
 そこに加えて言語の星が、守護神ですから、通訳ガイド、翻訳ガイドは、彼女の宿命に合致します。

自分の心に沿う古典や日本の伝統を、海外のお客さんに対等目線で伝える言語として、英語が必要だったから、彼女がそっちに進もうとするのはとても自然なことで、そこに教育の原資を優先的に配分して偏らせることに意味がありました。

ならってきた、茶道、日本舞踊、伝統工芸体験、世の中体験塾(起業塾)も、私から習った、着付け、日本髪なども、全てガイドの中で使える知識になります。今の外国人は日本の情報はたくさん持っていますが、実際のネイティブの体験的な感覚を知りたくて日本人と交流を図ってきます。ですから、YoutubeやAIに聞けばわかることを答えても、今後の日本人通訳ガイドは必要とされません。日本人が自分の日本人としての体験を人に語ることで、伝える意味が出てくるわけですので、コンテンツをたくさん体験させておいたんです。

英語ができても、日本のことを聞かれたとき、言葉に詰まったらそれはいいガイドとは言えません。外国人ネイティブは、知識として知っていることを英語で聞きたいわけではありません。生の声が聞きたいんです。
そして、それをいかにまとめて伝えるか。誤解のない表現力で伝えるか。
そこには英語が直接関係せず、パフォーマンス技術が必要になります。
バレエや日本舞踊の舞台に子供たちを立たせてきたのも、そのためもあります。黙って察して、奥ゆかしい、を評価してくれるほど甘い国際社会ではありません。これは国際教育のスタンダードになってるんですが、日本ではまだまだ教育の中で軽視されていることなんですね。

 20年以上前から海外では、show and tellといったような名称で、インタビューやプレゼンテーション、発表の訓練の専門授業というのが必須科目で用意されています。
 これが訓練されていないので、英語を使って実践的なかかわりかたをしようとするとき、どうしても日本の子供は自分をうまく売り込むことができません。英語はできるけど、印象が悪い。会話が続かない。

それで、私は子供の頃から、とにかく日本語でも、英語でもバイリンガルキッズの子供の友達にビデオメールを送る機会を作ってきました。
 3分Youtuberが、できれば、そのスキルが身についたのと同じことだからです。友達によく思われたいので、自分で修正していきます。そういう中で、自然に目線や声の大きさ、ジェスチャー、そう言ったものを訓練していたんですね。(でも、そのことを周りの英語熱の高い親に教えてあげても、ほとんどの親はスルーしましたね。単語の暗記の方が重要と思ってました。)
結構大変な労力ですが、それがなければ、英語を知ってても使えないことをしっていたので続けてきました。

そしたら、最近京都市の公立の授業参観に行って驚きました。
京都市では、この訓練をすでに積極的に授業の中で取り込んでいたんです。
自分の読んだ本をもとに、プレゼンテーションをする訓練です。
これは技術なので、日本語でも効果は同じです。
 私が東京にいた時から、一生懸命用意していたこの訓練が、公立の学校の中で意識的に取り入れられていたことに、安堵感と信頼が生まれました。
公立だからと言って、私立より遅れているとは限りません。

 後で聞いたら、やっぱり京都市教育委員会は、今、英語教育の本当の専門員をひきいれていて、使えない英語学習は意味がない、と教育改革が抜本的に行われている最中とのことで、私が押さえていた英語教育の大事な視点が全部反映された内容に変わりつつある過程だということが、教育委員会の長のお話からも裏どりができたんです。

これなら、たまちゃんが学校で英語をやっていても、意味がない授業になることはないな、逆にたまちゃん型の学習に、京都市が変わっていくんだ!
とワクワクしました。
こういうことは、移住するまでは全く見えなかったことです。

何年か前、東京にいてイギリス行きが決まっていたとき、晴明さんの「学びにきなさい」という霊的なメッセージから「そうだ、京都行こう!」となったのが、全ての始まりだったわけなんですが、いろんなことが山ほどありながら、東京的なものをどんどん省いていって、今に落ち着いた時、結果的に当時の東京のステレオタイプとの意識格差に苦しむ自分たち親子にとっては、最良の答えに繋がっていたことを再確認しました。
なにより、たまちゃんの主星・玉堂星が最も輝く環境が古典都市・京都だったわけです。
たまちゃんは、「この仕事は、楽しくお客さんとおしゃべりしながら、旅行して、お金をもらって帰ってくるし、日本のことも海外のことも学べる、遊びのような仕事!一生やれる気がする。」って言っていました。

よっしゃ、やっぱり宿命は嘘をつかない!

たまちゃんのもっている玉堂星・龍高星を、研究生活で生かすこともできます。でも、経営の方へ行きなさい、と宿命は伝えていますので、その土台をこれまで備えてきました。

 皆さんのほとんどは気がついていないと思いますが、実は将来の方向性は、小学生までに作り上げられています。大学に行ってからやりたいことを探すというのでは、ときおそし。中学生から理屈を使う脳が発達し、理屈に邪魔されて、自分が無条件で好きになれるものが見つからなくなるからです。

 楽し過ぎて一生やってても飽きなさそう!と思えるものと小学生のうちに出会えているかどうかというのが、その後の子供の仕事人生を左右すると思います。せっかく東大京大、有名私立・国公立大学出ても、そのあと社会に出ることを拒絶する子供は大勢います。

 やらされ人生のその先で、反発しても、親に理屈と力でねじ伏せられた経験が溜まった子供は、大きくなったとき、今度は別の誰かからまた要求されることに答え続けられるか不安になってしまいます。そして、仕事を通して、そんな辛さと直面し続ける人生が嫌になってしまったからです。
それは、子供の頃、自分の意思に沿って、物事を進めてもらえなかったことや、自分の好きを優先して、教育設定がされてこなかったからということ、そして親の力が強大すぎて、逆らうことができるような環境ではなかったことが原因と言えます。

そうなってしまったら、そこから子供が立ち上がることが、いかに苦しく大変なことか。硬直状態になって、一人では、たちあがれないでしょう。
 そんなふうに、可能性を秘めた子供達が、自責の念や無価値観、無能感に襲われる日々で、時間を消費してしまうことがいかにもったいないか。
そういうことを考えたら、目先のテストの点数がどうであれ、子供が毎日楽しいことに夢中になっていることの方が大事で、それは、明るい未来を逞しく生きていけるサインなのです。

子供が楽しい!と思えることを用意し、我慢させることをやめる!
これまでの昭和と真逆をやっていかなければ、若者の自殺の数は止まりませんし、楽しい人生を構築する力がなくなり、守り一方の人生設計になっていきます。クリエイションが、本来の日本人の能力ですから、たくさんの経験という素材を与えた子供ほど、それを発揮して世界とうまくやっていくようになるでしょう。

あれがダメでも、これがある、をいくらでも用意してあげる、そういう教育環境でたのしくやる方が、塾で反応性を記憶し、詰め込むだけの教育に時間を使うよりも、この時代、よほど意味のあることなのです。
そして、今の教育の本当のトレンドはそっちにあります。

小学校では、中学校ででた成績がそのまんま高校の合否にかかわるんだというお話が先生からなされたそうなんですが、それで焦る?
いや、高校が入れてくれなかったら、今はいろんな手段ありますよ。
オンラインで色々学んで、最終大検取っちゃえばいいし、うちの場合は、オンラインで海外の高校に入学させることもあり、でしょう。
もしくは、バレエで奨学金をとって、短期留学するために一生懸命になってもいいでしょう。

人生には旬というものがあります。
その旬を外してしまえば、もったいない人生になってしまう。
その旬は、その子が魂の底からやりたい!楽しい!と思えることと直結しているのです。

前述のバレエをやると言っていた子の親は、半年後、「やっぱりやめてピアノを習わすことにした!」と言ってきました。
ピアノは、その子の宿命にはありません。
それって、子供の選択じゃないよね?と、心の中で私は思いました。
苦手であったとしても、品のある美しい格好をまとい、自分の体を使い、自己表現してみんなの注目と人気を集めることがその子の宿命です。

今年、その子供は天誅殺で玉堂星中殺です。
母親の知恵が中殺されて向上しようとすることが、裏目にでることがあります。なるほどなぁ、と思いながらですが、これがどう影響してくるかというのは、すべてその人がどういう波動を抱えて生きているか、ということと、知らず知らずに一族みんなで影響しあって、作り出したカルマの影響も出てきますから、一方向から見て、いうこともできません。

その子にとっては、「あのときああなっておけば、私はもっと違う人生だったかもしれない!」とあとで叫びたくなったとしても、それもまた宿命であり、とりまく人間関係全員がその消化のために、通らされる道であったりもしますから、人には口出しすることができないんですね。
ましてや依頼されているわけではないですからね。

どれくらい、普段、心ある人のしてくれていることから、その人の深い視点を自分がよみとれているか、という判断力の問題でもあります。
 良いメンターがそばにいても気が付かないひとは、メンターがいない人と同じです。

10歳を過ぎ、発達の土台上、90%が終わったということになり、これまでインプットしてきたものが、形となって現れ始めているのを感じる娘たち。
「我慢してやらされてきたことが記憶にない!」
「親が出してくるもの、出してくるもの全てが、自分が心から望んでいたものばかりだった!」と、たまちゃんはいいます。
でも甘いことばっかりやってるわけでもなくて、

 宿命から外れたとき、宿命に沿って、私はタマちゃんに激怒して、時に、あんまりにも強情すぎる時は、ほおを叩くこともあります。

「お母さんめちゃめちゃ怒って、腹立つ時もあるでしょ〜!?」って聞くと、
「それでもね、私、叩かれてなおうれしいんだ…。私の深いところをみているから、これだけ怒ってくれてるんだっていうのがわかるから。私は愛されてるんだなぁと思う。」
 玉ちゃんは、自分が自分の本質から外れている自分を最近、内観し始めているので、親が怒ってくれた、と受け止めているんですね。
 私の中には目の前の人の宿命図が常に頭の中にあります。
 その上でどう対応するか決めていますが、子供のほうはそれがわかる。


 自分が育てているものの個性をよく見ること、観察すること。
そして、育てている自分のエゴフィルターを何度も何度も検証すること。
そういうことで初めて、子供が健全に育つ、と最近改めて思っています。

 好きなことばかり、子供のこと優先してばかり、と周りは甘やかしに見えるかもしれないこの教育ですが、それはそれでいいとおもっています。
 だって、明日、死ぬことを考えたとき、我慢してなにか結果を出そうとして、ほしいベネフィットを手に入れられなかったと愕然として、道半ばで死ぬ人生よりも、毎日毎日を完結して、楽しいことの連続で生きた人生の方が、ある日突然亡くなったとしても、それは楽しい人生、生きた意味のある人生で、さっぱりと見切りをつけられる死に方だと思うんですね。

 そういう意味では、子供に我慢させて、遠くの楽しみや栄光つかませようとする多くの人は、人はだれでもいつか死ぬんだ、ということを忘れていると思うんですね。塾しか行かせないとか、缶詰勉強させて、途中で子供死んだら、どうでしょうか。なにをやりに生まれてきたのかって感じですよね。

 懸命に英才教育をして京大に入れて、国際会議にもでた優秀な子供が、在学中に自殺してしまった親のことを思います。
毎日ひたすら楽しいことを中心にやっていたら、自殺なんて考えないんですよ。我慢させられた人生があるから、自殺するんです。
 そして、友達との人間関係を小さい頃からしっかりと学んでいたら、大人になって人間関係に潰されることもまた、ないんですよ。

子供はよく遊び、よく食べ、よく駆け回り、好きなことを通して、心を磨く。そうしてればいいんです。
この原則に、世の中全体で、はやく気がついてほしいところです。

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