過去最大に不登校が起こっていると言われる今の日本なんですが、それはたぶん日本だけに限ったことじゃないような気がします。
同じ地域だというだけで、同じ学校に通わなくてはいけないしばりにこどもは対応できず、コミュニケーションが真っ正直ゆえに調整が効かず、精神的な摩擦が起こってくるからだと思うんです。
うちの子供たちも、使える言語も含め、同じ歳の子供達と社会経験量があまりに違いすぎるので、自分の話がまっすぐに理解されないし、うっかりオープンに付き合おうとすると、へんな見方で貶められたりして、嫌な思いをするので友達になれないといってくるようになりました。
なので、海外オンラインの教育も並行して受けることで、バランスをとっています。英語の方が楽なので、ほっとしたとたまちゃんも言っています。
しかし人間関係の葛藤は、日本だけの現象ではなく、全世界的に、子供たちの間でおこっているのかもしれません。
というのも、たまちゃんの世界中の友達も、ホームスクールとか、学校やめて家庭学習を選ぶ子供たちが思った以上に多いと感じるからです。
それは、向上のための良い選択も退化のための悪い選択も両方ありますので白黒つけられないことではありますけども、なんでこんなにいるんだろうと思います。家庭と学校が荒れてるところもあるようです。
(自分の実感だと特にイギリスね。子どもの数が多いのはわかるけど、ちゃんと親が家で子供しつけてんのかなっていうくらい、子供が自分本位です。他国民に対してマナーが悪いのが感じられる。さすが魔女や魔術師の国というべきなのか、evilな子供は本当にevilで、日本の親的には、結構びっくりするんですよ。)
詳しくは知らないんですが、アメリカとイギリスって、おそらく日本みたいな義務教育ではないと思うんですよね。
だから、合わないと思えば、そういう選択をするのも自由なのだろうけど、その決断って子供側の意見の尊重なのかどうかというと、実際聞くとそうでもなく、親が子供を説得して決めているケースもよくある。親が学校に送るのが面倒とか、親が変人とか、理由は色々ある。
たまちゃんの友達を通して海外事情を聞くと、親の価値観が反映される場所が教育だというのは、海外でも変わらないんだねって思いました。
ケチで意地悪で陰険率が高いイギリスの子、人に奉仕を求めることが多い割に自分からは何もしなくて、頭が軽くて難しい話をすぐに放り投げる率の高いアメリカの子たちに対して、一方、教育先進国と言われる国々、例えば北欧、オーストラリアやニュージーランド、フランス、ギリシャ、マルタ、アジアの国々の子供たちの国際的なマナーの良さは素敵だなぁと本当に思います。
民度を作っているのは、やっぱり、その国の教育のあり方なんだと思いますよ。
これらの国の人たちは、自分の母国語だけではなく、日本語でも話そうと努力してくれます。どうしてそういうふうにしてくれるの?と聞いたら、「だって私は簡単に使いこなすのに、あなたは二つの言語で苦労するってフェアじゃないじゃない。一緒のポジションで友達になりたいから。」って言ってくれたんですよね。素敵!
イギリス、アメリカでそういうことをしてくれる子供を見たことがない!w
こういうのが、大人になっていくわけですからね。私たちもその国を体現している子供達を観察することで、非常に勉強になります。
現実的にも、京都は国際都市です。
近年ものすごい数の外国人で、ここが日本だとわからないくらいの外国人率なんですが、その分、京都市でも国際社会に一番詳しいのは、もしかすると、京都市バスの運転手さんたちなんじゃないかと思います。
たらたらとおしゃべりしながら時間をかけてバスを降りていくとある国の外国人グループを前に、「わたしたち市バスの運転手は、どの国がどんなひとたちかというのは、長年の経験でわかっていますが、この人たちはこういうタイムラインで動く人たちなんです。乗客の皆さん、イライラするでしょうが、根気よく待ってあげてください。」と車内アナウンスがかかったりすることも。
バスの窓をあけて身を乗り出したり、発車しようとしている運転手に自分のいきたい観光地のいき方をだらだらと尋ねる某国の人たちなど、察する文化とは無縁な国の方達と一番直面しているのは京都市バスの運転手さんたち。
京都にいながら、国際人です。
国際人になるということを日本人は、「英語が話せて海外の王族と仲良くして優位性を出す皇族外交官・雅子妃のようになること」だと勘違いしている人たちが多いと思うのですが、別に海外の言葉を使いこなすことや外国に気に入られて仲良くすることが国際人ではないんですよ。
国際人とは、その国の人たちがどんな考えで、どんな価値観で現在動いていて、その背景に民族的な実績として、どのような歴史を歩んできたのかという事実をちゃんと理解していることだと思います。
プーチン大統領の話を聞いていると、それこそ多くの国の背景を深く学び、実際に理解し、歴史的な事実ですらも把握していて話しているのがわかる。
すごいなと思います。
こういう人がまさに国際人。
京都の人間は、そういう意味で国際人のベースはどこの県民よりあります。なにせ、小さい頃から自分の国の歴史・文化・芸術をこれでもかと学びます。その上で、海外からやってくる人たちのひととなりに触れる多くの機会を通して、実感するんです。
やっぱ、日本人って優れてるよな。あんまり、海外尊敬できる人、少ないわ。
...って。東京は世界大戦で占領されて、GHQ仕様にされちゃってますから、言論統制や文化大破壊、日本語の改変などを受けて、日本の大事にしてきたものをすてて猿真似で「最先端の外国に学ぶ」ことにしました。
つまり、占領軍のヒエラルキーの下に自ら成り下がったんですね。
しかし、京都はそうではない。
天皇が帰ってくるまで、この地はお守りしなくてはならない、と密かに表と裏を使い分け、それまで大事にしてきた価値観や日本の美学を代々継承し続けようとしたし、教育にもその良識が反映されてきました。
自分たちの凄さを自分たちが一番よく知ってるから、京都人のメンタリティはめっちゃ強いんです。よそさんに何をいわれても痛くも痒くもあらへん。
と、海外からのバッシングにも狼狽えず、やられない強い日本人意識を持っている人たちだと思います。
文化と歴史に裏付けされたプライド意識、これは人を強くします。こういうの、本当に日本人、見習ったほうがいいと思うんです。
京都駅近くのインターナショナルスクールのインド人校長に馬鹿にされた、京都人=田舎者、という理解は、本当に間違いで、実は京都は古き良きものを大事にしながらも、最新情報の取得を怠らないという意味で、非常に賢く、革新的なものをいち早く取り入れることでも有名です。
そのうえで、これが打ち上げ花火でパチモンなのか、それとも世界情勢を変えるイノベーションなのかをきちんと見極め、自分だけではなく、100年後の日本がさらに良くなるための判断をとります。
さすがに全員が、とは言わないまでも、そういう価値観を持ってる人間が、京都にはすごく多いんですよ!!
東京でそんなこと考えている人に一人も会ったことがない。
あのね、京都の人って言ってるけど、これ、そのまんま昔の日本人の姿そのまんまですからね!
わたしたちが捨ててきた、私たちの過去、そのまんまの姿ですからね。
京都の人というのは、(いいかえれば、良識があり、洗練されたもともとの日本人というのは)金を持ってるか、ものを持ってるか、ではなくて、その人の内側の仏性が輝いているのかどうかを測ってお付き合いしたんですよ。
世界が日本を見習うべき!!
というものを日本人は、ずっと維持してきたんですよ。
なぜ、あなたはアメリカ人になろうとする?
なぜ、イギリス人のようなヒエラルキーに染まろうとする?
私たちは、日本人のままで美しい。私たちの精神のベースには、密教世界の宇宙観がちゃんと存在してて、その密教宇宙観はチベットのものとも違う、神道と結びついてできあがった、新しい世界観だったんです。
イギリス政府にコントロールされていた明治政府が、仏教と神道のそれまでの融合をなぜ、あの時いきなり壊したと思います?
かれらは、これこそが日本人の強さや美学のもとだと気づいたからです。
世界全てを調和させる究極のスピリチュアリズムだから、戦争をはじめ、分離分断で漁夫の利を狙うグループにとって、あっては困る価値観だったんです。
今、たまちゃんは、世界中の子供達と実際の手紙やオンラインで英語を使ってやりとりしていますが、金持ち日本人だらけのインターに通った時より、かなり深く海外を理解するようになりました。テキストに打つと、国によって精神的に成熟している人と低俗な人のキャラクターの差がよくわかってしまうね、と言ってます。
日本人は陸続きではないため、外国に関心持たなくても生きていけました。だから、外国の諸事情に興味をもたないまま育ち、大人になっていきなり世界と直面します。そんな大人たちが、海外の他民族・他宗教に対して経験値が無さすぎて、ウブなまま、転がされ放題で、世界で働いたり、交渉したりしなくちゃならなくて、世界進出の壁はあまりにも厚いのです。
しかし、京都は、そうじゃないんですね。小さな盆地の生活圏に、日本でもっとも多種多様な外国人がどっと流入してくる特殊地域であると言ってもいい。たまちゃんの生活圏にもいろんな国の外国人がいます。
どの国の人が世界遺産に対してどのように向き合うか、ゴミ捨てひとつでどんな生き方をしているのか、京都では、子どもの目にもわかってきます。
京都人はお高くとまっているんじゃなく、現実的に海外の人に接してるから、実際の外国人の民度がわかる。そして、精神的にも作法的にも日本がやっぱり素晴らしいんだってわかっているんです。
なのに、なぜか同じ日本人から、京都人はいけずだとか、性格が悪いとか、京都人が日本で一番嫌だとか、言われているという....。
今、本当に京都が嫌いと言っている人は、日本人なんですか?
違う国のルーツをもつ人たちが先導しているのではないですか?
マスコミが他国に支配されているように。
ケンミンショーとか見るとすごく思います。
世界にたいしてウブではない京都人、現場の京都の人たちが、なぜか日本内部であまりに誤解されていると私は思います。
よしもとをつかって、大阪人は馬鹿でがさつで欲深いと宣伝し、京都人は見識が狭くて意地悪で陰険で嫌味、というキャラクターを宣伝してきたのは、マスコミですよね。
気づいてください。
なんで、マスコミがそんなことをしなきゃならなかったのでしょうか。
それは、実際が真逆だからです。
大阪は、本来、明るい笑いを大切にし、家族愛が豊かで、文化への感性と品性が高く、おおらかな愛情の街です。
京都も仲間を大切にし、誰に評価されなくとも真善美をよしとする行動的で賢い人たちの街です。ともに、外交的でサービス精神あふれる人たちが多い。
ああ、これも日本転覆計画の一部だったんだなぁ、と今、私はそう思います。
風の時代になり、さまざまなことが現象化してから理解するのでは遅い、という時代になりました。証拠を見せてみろ、という時代ではなくなったということです。もう、わかる人には自明すぎてわかる、というような認知の仕方になり、瞬間、瞬間で、物事を判断し、人生の舵きりをします。
もう、周りの反応に合わせていたら、自分だけ遅れるということ。
王様は素敵な服を着ていると民衆が言ってたと思って、合わせていれば安心と思っていたら、ある日突然状況が変わっていて、自分だけがおかしなことをまだ思っている人間になっていたりする。
子供達だけでなく、大人の間にも摩擦があちこちで起こるのは、精神的なカーストが成立し始めてきているからです。合わない人とは説得調整するのではなく、即、離れる時代になったからです。人の見極めをして、あ、この人は自分向きの人じゃないなと、気づいたら、こだわるのをやめて、自分にしっくりくる人へ、その努力や時間を使うことが当たり前な時代になるからです。
精神的に、多重の層が生まれてきています。
禄存星さんは、くるもの拒まず、さるもの追わず、のひととして知られていますが、まさにそれが効果を発揮する時代。全員と仲良くする石門星でやると、苦労が多い時代。
ありのまま、自分を好きだと言ってくれるひとたちだけを周りに集めて、楽しくやろう!っていう時代に入っているからです。
いまは、その合わないサインが、摩擦になって表出しているんです。
ある程度、その流れが突き進んでいった時、見回せば、あなたの周りには自分の好きな人しかいません。
あうんの呼吸で、意図がちゃんと理解されるひとたちと、スピーディに物事が進められていくそんな社会が発生します。
だからこそ、「じぶんでないもの」を今そぎおとす必要があります。
嫌だと思うことを、意識の上に出してきて、手放していく過程が必要です。
ゆるすもんか、と思っても、そういうワークというのは、相手を許すのではなく、そもそも固着していた自分を解放してあげる作業なんですね。
自分のためにそれをやる、ということなんです。
来年、どんな時代になっているでしょうか。
みなさん、自分の良さに目覚めて、はんなりした生活が送れると良いですね。
「別に嫌だな、と思う人とはつきあわない自由があるんだってこと、世界とやりとりしてて学んだよ」「海外からはすごい学びがある。」と昨晩、たまちゃんが呟いていました。
オンライン上で海外を知れる時代ですから、どんどんやってみたらいいのだと思います。意外な世界に会えるかもしれません。